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フローマインド20 見通してあげる生き方
2022.04.28
見通してあげる生き方 (辻秀一メソッドより)
■ 認知の脳は正統性を主張する
自分をフローにするだけではなく、周りをフローにしていく生き方、脳の使い方。コーチ力第1回目は「わかってあげる」でした。
人はどんな人もわかってほしいですよね。どんなことがわかってほしいか、
感情や考え、これは自由だからわかってほしいと、みんなそう思っています。
ある意味、人間は認知の脳が優れているので、この「わかってほしい」という人間の生き方が、本能にもつながっているように思います。この認知の脳が自分の正統性を主張したい。
そのことによって、自分の存在意義みたいなものが出てそれを謳歌して生きたいという。
「わかってほしい」というのも、本来は認知のなせる技かもしれません。
私たちの隣にいらっしゃる方は、「認知でできている」と言っても過言ではないわけです。
その認知でできている人に囲まれ、認知でできている社会に対して、このライフスキルという脳の使い方を使って、少しでもフローな方向に導く。フローな方向に傾かせる、
「フローな方向に影響する生き方をしていきませんか」というご提案です。
■ 時間の幅を持って人と接する
今日は「見通す」ということについて、お話をしていきましょう。
どんな人も見通してほしい。見通してくれるとフローになる。
すなわち、コーチ力の2番目は、「見通してあげる」と考える。
「見通してあげる」姿勢で生きるということになります。
見通す。あまり聞き慣れない言葉ですが、私はこのように考えています。
人間はその瞬間だけで見られて判断されて、評価されるのはとても嫌いです。
どういうことかというと、何かやろうと している時に、「お前、まだやってないのか」と言われると、「やろうと思っていたのに」と余計にやる気がなくなる。
今の会話は、まさに「見通してほしい」のに、見通してもらえなかった感じです。見通すというのはどういうことかというと、その瞬間だけ見られることよりも、時間の幅を持って見てほしい。裏を返せば、時間の幅を持って見てあげるということになるでしょう。
どうして人は見通してほしいのかというと、やはり認知で生きているからで、認知の脳は過去と未来、これがとてつもなく大得意なわけですね。
今こう起こっているんだけど、認知の脳が我々は優れている。
どうしても過去というものを引っさげて生きているから、過去も見てほしいとなっているでしょうし、認知の脳が未来にも脳を向けるので、先のことも見てほしいというふうになっているのではないかと思っています。
我々が「見通してほしい」「過去や未来も配慮して判断してほしい」というのは、やはり認知の脳が作用しての人間の普遍の共通の老若男女すべての人の訴えだと思います。
ただ、私はここで「コーチ力」というライフスキルの視点からお話をします。どのように「見通してあげる」というものをとらえたらいいのかというふうに申しますと、人を見る時に、逆に言うとこちらも認知の脳が働いて、そこで見たものに今度は評価するということがどうしても起こりがちなので、時間の幅を持って人を見る。
時間の幅を作り出して、人と接するということを、
私はこの見通す姿勢、見通す生き方、見通してあげるということのヒントにしています。
時間の幅を持って見てあげましょう。その瞬間だけではなく、今何かが起こっていたとしても、「えっ、これ、どういうことがあってこうなったの」と聞くだけでも、もうそこに時間の幅が存在してますよね。やや過去を配慮して今とつなげている。
もちろん、ライフスキル的には、「今に生きる」ということが非常に重要ですけども、ただ「今を見て評価しろ」というのとは違いますね。今を見て評価が起こるところは、認知の脳なので、そうではなくて、時間の幅を持った会話をしていきましょう。
当然、評価は人間の社会、この認知の社会で起こり得ることなのですが、そこに何かしらの時間の幅を持った配慮があるだけで、人は元気な方向へいく。フローな方向へいく。
「今こうだけど、このあとどうするつもりなの?」と聞くだけで、またそこに時間の幅を感じませんか。「何やってんだよ!」と言われるだけだと、私たちはとてつもなくやる気をなくす。ガッカリする。
すなわち、Nの感情が生じる。すなわち、心のフローメーターはノンフローのほうに傾くはずです。
■ 結果ではなく「変化」を見る
そこで、ちょっとその時間の幅を持って配慮して接すること、こんなことを「心がけて言う」ことから始まります。キーワードは、「時間の幅」ですね。「時間軸を持て」というような言い方をしている時もあります。
常に時間が流れているので、その時間軸を配慮して考えましょう。でも最近私の中でヒットしている感覚は、「時間の幅を持って人を見よ」という感じですね。
その「時間の幅を持って人を見る」「時間の幅を持って人と接する」ということの中で、私たちが非常に時間の幅を持ってしてでないと考えられない脳の使い方が重要だと思います。
結果より変化を見るというようなことをして、変化を見れる脳の習慣をつけましょう。
変化を見るには、今お話しをしてきた時間の幅を持っていないと、難しいですよね。キーワードとして「結果より変化を大事にする」。
例えば、結果より変化が見れず、結果だけを見てそこに時間の幅もなく評価をしてしまう。典型的な例で私がよく遭遇するのは、大学の体育会のOBがたまに試合に来て、何やかんや言う。
チームは、冬のシーズンから春にかけてこうやって変化してきているにもかかわらず、OBはいきなり来て試合だけ見て、だいたいそこで評価します。
そういう時のミーティングというのは、基本的に選手もチームもだいたいノンフローになります。
もう一つ、このあと「夏に向けてこういうふうにやっていこう」とか、「こういう計画で変化していこう」と考えているにもかかわらず、今だけ見られて評価されてしまうと、まさに見通されていないので、現役の選手たちは確実にノンフローになります。
これはまさに「結果より変化」の反対で、「変化より結果」という感じがします。
試合後のミーティングで、選手たちはOBの言葉にうなずいていますけど、ほぼみんなノンフローということがよく起きます。
「結果より変化」と考えるのは、結果が出なくていいということではまったくありません。
あくまでこれは心をフローにするための脳の習慣なので、フローにすることによってパフォーマンスが上がって、そしてそれが結果にも結びつくということをわかっているし、それが人間の仕組みだからこそ、結果より変化と考えるので、それによってフローな方向へいきます。
■ 成長と可能性の観点から人を見る
この変化、時間の幅を持って人を見る。次のキーワードは結果より変化。変化というのをもう少し幅広く考えてみたいと思います。
変化にも大きく分けると、2種類あって、
過去から今までの変化のことを「成長」とも呼ぶでしょう。
今から未来への変化のことを「可能性」と呼ぶこともできます。
つまり、「変化を持って人を見る」「変化を持って人と接する」ということは、別な言葉で言うと、成長と可能性を常に人に対して見れる、意識できる、考えられる。そんな脳の視点が重要だと思います。
時間の幅の作り方はいろいろあります。
正解などないですが、例えば、「この1週間でどんな成長をしたか、考えてみてください」と言うだけで、その選手や部下を見た時に必ず時間の幅が生じます。
「1週間前と今でどうかな」
今の評価と脳の使い方が、もう全然変わってきますよね。そこの脳の使い方が、まさにライフスキル的と私は思っています。
この1週間でどんな成長をしたか。
簡単ではないですね。
でも1週間たっているので、何かしら変化、成長、人間はしているはずです。それは内面的なものかもしれないし、肉体的なものかもしれないし、総合的なものかもしれない。何かしらの成長や変化をしているはずなのですが、そこをあまり見たり、考える習慣があまりないから、そういう練習をします。
「この1カ月、この1年、もっと短くして昨日から1日でどう?」
「この1時間でどう変化しただろうね、成長しただろうね」
時間の幅をいろいろ変えることによって、人を見る時に、その時間の幅、成長という変化を見る脳の習慣がだんだん生まれてきます。
■ 認知は「結果」しか評価できない
一方、可能性ということについても考えてみた時に、
「1週間後、こいつどうなるかな」
「この選手、1年後、1カ月後、どうなるかな」
「あの部下、10年後どうなるだろうかな」
評価ではなくて自由にその可能性を考えて接すると、接せられている人は、その脳の回路があるだけで、フローな方向へ傾きます。
つまり、認知でその瞬間しか評価されてこない人と、時間の幅を持って接してくれている人――。
間違いなく相手はそれを感じ取りますし、それによってフローな方向へいきます。
「この瞬間だけで評価する人じゃないな」
「この人は過去からの成長や未来への可能性も感じ取ってくれる人なんだな」
「見てくれている人なんだな」
もちろん、今何が起きて何が悪いかというのも、認知で指摘する。これも重要なことだと思います。親としても上司としても、コーチとしても重要ですね。
認知は人間であるということの証ですから、それとは別に、こういう脳の習慣、視点を持っていられるかどうかということです。
脳というのは優れているので、そういう思考の習慣を繰り返していくと、だんだんそういう脳の使い方ができるようになってきます。
急にはできませんけど、そういうことを人間って意識していると、不思議と同じものを見ていても時間の幅を持って見れるようになってくるのです。
■ 結果を見る人はすぐ比較する
もう一つ、結果しか見れない人の特徴を言いますと、すぐ比べます。比較というのは結果しか見れない人の、認知による特徴的な思考パターンですね。
我々は比較してものごとを判断するように教育されて、認知でやっていきます。算数の授業でもそうですし、あらゆるところで比較するということをやっていくんですけれども。
結果しか見れない人は、なぜこの比較の認知がさらに相まっていくのかというと、結果をそのポイント、その相手に対しても1ポイントしか見れないので、そこを評価するために何かと比べてそこに価値化を作りたい。
評価基準を作りたいんです。何かと比べられないと、結果というのはその瞬間のあるものしかわからないので、常に結果しか見れない人は、何かと比べるという習慣があります。
実は人って、比べられるとノンフローになるんです。
例えば先ほど申し上げた大学の体育会。
試合が終わったあと時間軸なく、変化を見れず、結果しか見ないOBほど必ず比べます。
「俺らの頃は」と言って、自分たちの頃と比べようとします。またそれを言われれば言われるほど、嫌になりますね選手たちは。
例えば子どもで言うと、兄弟で比べられるとか、部下で言うとほかの社員と比べられるとか、選手で言うと、ほかの選手と比べられるとか。とてつもなく人はノンフローになります。でも、結果でしか見れない人の特徴はすぐ比べます。
人と比べたり何かと比べている自分に気づいたら、
「結果しか見れていないな」と思っていいぐらいです。
■ 相手の中に「価値化」を起こす
ただ、時間軸を持って変化を見れる人は、相手の中に価値化をつくれます。
「前よりこうなっている」とか、「これからこうなる」ということがあるので、何かと比べなくても、その時間の幅によって生じた成長とか可能性というところに価値化、バリューを設けられるので、「人と比べなくてもいい」というふうに安心感を作っていくことができます。
ライフスキルを磨いて時間の幅を持って人と接し、変化を大事にし、成長や可能性というものを人に見ていくようになると、比べるということがだんだん減っていきます。
成長と可能性を見るにあたって、
おそらくご自身が揺らいでとらわれてノンフローになって、
人に対して意味づけ満載でいると、
時間の幅を持って人と接するという余裕がなくなるということも気づくと思います。
「可能性を見ろ」といったって、「こいつ、今までこうじゃん」みたいなふうになりがちです。
「時間の幅を持って成長を見ろ」といったって、「そもそも今だめじゃん」みたいになったりとかしますし、自分が機嫌が悪い時に、その時間の幅を持って接するなんていうことはなかなか難しい。
例えば、OBが試合を見ながらどんどん認知、意味づけが起こっていくわけですね。
自分の過去と比較しながら見ながら意味づけして、超ノンフローになって機嫌が悪く、試合後のロッカールームに来ている時に、「時間の幅を持って選手たちに接する」「時間の幅を持ってチームに接する」「時間の幅を持って成長を見てあげる」「時間の幅を持って可能性を見てあげる」なんかできないですよね。OBであればあるほど、試合を見ていればそこに起こるさまざまなものに意味づけが起こり、ノンフローのリスクを抱えながら試合を見るわけです。
試合に仮に負けたとすると、ご機嫌なまま「やったな」と言ってロッカールームに行けるOBなどいないわけです。当然、ガッカリもしているし、残念な状態、すなわちノンフローな状態が起こって当たり前です。
やっぱりコーチ力まで発揮することはできない。機嫌が悪くノンフローになったままロッカールームに来て、認知の暴走した状態でまた結果だけ見て、「俺らのころは」と比較してしまう。まあ、こんな光景は実際には企業の中でも、家庭の中でも、スポーツの現場の中でも、あらゆるシーンにあるはずです。
そこでいかに切り替えて、その彼らに接して「言葉を出せるか」というところに、またこれまでお話ししてきたライフスキル、社会力、自分の気分を自分で作る、自分の機嫌を自分で作る、自分の心の状態をいち早く外界に頼らず切り替えることができるという脳の力、能力、ライフスキルを持っていないと、ノンフローになるんですよね。
思い当たる節のない人はいないと、私は思います。それは認知で生きていれば、必ずそうなるからです。
■ フローに傾く脳の習慣をつける
何回も申し上げるように、そこを否定しているのではなく、人間の仕組みというのはそうなんだなということに気づき、ちょっとそうではない心がフローな方向に傾く脳の習慣、回路、シナプスを形成する自分にしていきませんか。そのためには、まず「見通してあげる」と考える。
一日の中で「見通してあげる」と考えるということが、今までどれぐらいありましたか
九九の回路がない人が、9人を3人ずつ3班に分けることは難しいじゃないですか。その前には、でも「三三が九」「三三が九」「三三が九」「三三が九」といって、「三三が九」が脳の中の回路になっていると、ここに9人、人がいた時に「はい、分かれてください」と言うと、自然に3人ずつ分かれるという行動が起こるじゃないですか。
見通してあげて実際に声をかけてあげたり、そこを実際に見れて、そいつが「成長してるな」と言ってあげたりする前に、それができる自分をつくるということが重要ですよね。
そのためには、「三三が九」の回路が脳の中になかったらできないのと一緒で、「見通してあげる」という回路を僕らは意識的につくっていかない限りないんですよ。
なぜなら、認知の脳だけで評価しかしないからです。
だけど人間というのは「見通してほしい」という本能があるので、それを満たしてあげる自分になるための一番最初のアクションは何かというと、脳の中にその回路をつくっていかなきゃいけないわけですね。だから「考えましょう」と言っているわけです。
■ 見通してあげると、相手に伝わる
自分の場合は、考えているだけでそれでエネルギーが起こるので、ほぼ脳波が起こって心の変化が起こるから、それで完結です。
でも対外的な場合でも、考えているだけでも人に伝わる可能性はあります。
思考がエネルギーだから伝わります。
「ああ、この人は見通してあげるという考えをしている人なんだな」と、何となく伝わるんですよ。その回路があるとないだけで、表情、振る舞い、いろいろなことに変化が起こる。
相手はそれを感じ取る。でも、感じ取るだけじゃ弱いので、さらにアクションを起こしていかなきゃいけないんです。
「見通してあげる」と、人と会う時には考えているだけで、絶対何かが変わってきます。
そして、その回路をさらに強化する練習としては、時間の幅を持って人を見ようと、また考えることでも十分ですし、さらにそれを強化していくために、「結果より変化」と考えることも大事です。
変化を成長と可能性と分けて、先ほど申しましたようにいくつかの時間の幅を変えながら、人をいくつか何人かピックアップしながら、その脳の使い方の練習をされてはいかがでしょうか。
皆さんが見通すというライフスキル、コーチ力のライフスキルを身につける、脳につけることを願っています。