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フローマインド22 見せてあげる生き方
2022.04.28
見せてあげる生き方 (辻秀一メソッドより)
■ 片足でケンケンする生き方
認知の脳は、我々が人生を生きていくうえで行動の内容を決定し、外側と接着していくので、絶対必要な脳の使い方です。
この脳の使い方がしっかりできないと、はっきり言って話にはならない。
でも、この脳の使い方だけで生きていると、どうしても「意味づけワールド」の中にいて心が持って行かれて、ノンフローになって、自分自身に不安定感が起きるわけです。
認知の脳だけで生きているのは片足でケンケンしながら生きている感じです。
認知の脳で片足だけで大きく飛んで、前へ進まなきゃと思っているので、とても疲れるし、飛ぶ距離もうまく出せないし、下手したらしょっちゅう捻挫する。片足ケンケンだけで一生懸命生きている人がすごく多いなと思いました。
■ 認知とライフスキルを両立させる
ライフスキルという心のための脳を磨いている人は、認知の脳を使いながら片足でケンケンしているイメージです。ライフスキルを使っているというのは、もう一方、使っていないほうの足=左足をしっかり地面につけて、両脚で歩んでいる感じが、私が考えているライフスキルと認知の両脳が、両方ともうまく働いて生きている感じなんです。
何が言いたいかというと、常にケンケンしながら生きている中で、時々捻挫しそうになった時だけ左足を使うとか、うまくいかなくなった時だけ左足を地に足をつけるのではなく、
ライフスキルというのはそういうノンフローの時だけ使うような脳ではない。
自分の人生を歩んで生きていくというのは、認知の脳だけで片足でケンケンしながら、頑張って怪我もしながら何とかやって不安定な状態で生きるのではなく、
ちゃんと毎回毎回左足も地に足をつけながら歩いて行こう。
そのために左足、地に足をつけることを、ライフスキル、心のための脳を磨いているというイメージでとらえていただけるとわかりやすいんじゃないかなと思いました。
両方必要だということが言いたいわけで、どうしても僕らは「認知の脳優位」で生きてしまいますので、ライフスキル、すなわち左足を忘れがちです。
■ 生き方の軸足がライフスキル
ただ、どちら側が利き足ですか。
僕はサッカーでシュートをするんだったら、右足で蹴りますね。右足が利き足なんだと思います。
でも、よく考えてみると、右足で思い切り蹴るには、左足のほうが軸足となってちゃんと地に足をついていないと、右足の利き足がうまく作動しないというふうに思いませんか。
私は右足が利き足なので右足で蹴りますけれど、左足の軸足がしっかりしていないと難しいですね。バスケットをする時も、左足を軸足にピボットしたほうがやりやすいですし、歩み出す時も左足を軸にして右足から踏み出すほうが歩みやすい。利き足は右足、軸足が左足という感じです。
これが逆になると、右足を軸足にしながら左でボールを蹴るとなると、急にできにくくなります。
何が言いたいかというと、普段利き足は意識しているが、軸足は意識していない。でも実は軸足こそが重要。
軸足をどうちゃんと使っているかということが、前へ進めているし、ボールを蹴れるし、ちゃんとしたピボットを踏める。なんていうイメージはいかがですか。
すなわち、我々の共通言語で言えば、軸足になるものが「ライフスキル」です。ライフスキルを磨かず、軸足をしっかりせず、歩けていない人がいっぱいいるわけで、ケンケンだけしながらいると、とても転倒のリスクも高いし、疲れませんかという感じです。
まずライフスキル、心のための脳を使う自分。これは「軸足をしっかりしようぜ」ということにつながるのかもしれません。
そういうライフスキル、自分のための心のためのライフスキルの脳の使い方を磨いて学んでいき、さらにまわりもせっかくだからフローにしていける人生を歩もうということですね。
■ 認知が外界からの情報を処理する
人は、どうされるとノンフローになり、どうしてあげるとフローになるのだろうか。どうしてあげたほうがフローになるだろう。どうされたらノンフローになるか。
答えは皆さん、自分の中にあって、過去の経験に基づいてだいたい人間は知っています。
今日ここでお話をするコーチ力につながる生き方は、見せてあげる生き方、見せてあげる姿勢。
一般的に、認知の脳は外からの情報を、五感を通して仕入れます。
外からの情報を五感を通して仕入れ、その情報を認知という脳の工場に持っていき、行動の解決策を見つけると同時に、意味づけのオブラートを包んで心に持っていき、感情を生じさせるという仕組みがあるわけです。どうやって情報を五感を通して外側から得ているかというと、大きく分けると2大五感感覚器は、「聴覚」と「視覚」です。
すなわち、聞くと見る。この2つが我々の情報入手源です。五感としての大きな役割を果たしているのが、「聞く」と「見る」です。
皆さん、聞く情報がたくさん入ってきて、これは意識しやすいんですが、実は我々の五感で外界からの情報を入手する方法として、視覚がむちゃくちゃ高いのです。
正確な数字はいろいろな諸説ありますが、書物を読んだうえで私が認識している感覚は、「聴覚が3割、視覚が7割」です。
我々の情報入手ルートとして、聴覚よりも視覚のほうが倍以上あって、その情報が脳に入って意味づけに使われているということです。
■ 視覚情報7割、聴覚情報3割
我々は口が達者なもので、どうしても私たちは「いいから聞け」と言いますし、今もそうですけども、話をすることで人を納得させたり、話をすることで伝えたり、話をすることでわからせたり、話をすることで相手に影響を与えようというふうにします。
「いいから聞け」
ところが、実は相手は耳で聞いてもいますが、目は持っているので視覚の情報があります。
もちろん目の不自由な方はそこが難しいですが、その分聴力がものすごく長けているというふうにもなるでしょうし、耳の不自由な方ですと聴覚の問題があるので、視覚の情報入手とか、その他の五感に関する感覚器の鋭さはあると思いますが、通常、視覚の影響を私たちはたくさん受けていて、目で見ているものの影響をすごく受け、そこにいろいろな意味づけをしながら心の状態が決まっていっていることを忘れがちです。
例えば、耳から入る情報が我々の3割で、目から入る情報がその倍以上、7割もあるので、私たちはその情報の影響の大きさが多大であるがために、視覚情報は取捨選択して、自分の中に「取り入れる、取り入れない」ということができます。
瞼がなぜあるのかということですよね。医学的には目が乾くから瞼はもちろんあるのかもしれませんが、我々は自由意思に基づき視覚の情報をたくさん得るので、例えば皆さんの目の前で皆さんをノンフローにするような、超大きな問題、極論、殺人でも起こったとします。
思わず目をつぶりませんか。目をつぶることで、その心に影響する視覚からの情報入手ルートをカットするわけです。神様がいるのかどうかわかりませんが、僕らは瞼の存在によって、その意思と可能性とチャンスを持たされていると私は思います。それぐらい、我々は外側から入ってくる情報として、視覚の影響があるということを、ぜひぜひぜひぜひ考えてもらいたいなと思います。
一方、耳はどうですかね。耳たぶはあるけど、「耳ぶた」はないですね。耳ぶたがあれば、外から入って来る耳の情報、聴覚の情報をシャットアウトすることが自由意思でできるんですが、残念ながら耳たぶはあるけれど耳ぶたはない。我々はそういう意味では情報の割合としては少ないですが、耳ぶたがないために、外から入ってくる音、言葉、うわさ、さまざまな音声情報によって影響を受けています。
視覚情報の仕組み、聴覚情報の仕組み。耳から入ってくる情報よりも目から入っ てくる情報が、倍以上にもかかわらず、我々は口が達者なために人には伝えたり言って、相手がどのように見るかと
いうことを、つい忘れがちになっている。
いかがですか。「いいから見ろ」とは言わないですよね。「いいから聞け」とは言いますが、「いいから見ろ」って、なかなか言わない。
つまり、見せることの価値がすごく弱まっている。見せることの価値が十分高く、見せることが多くの人に影響を与え、見せることによって人をフローにできるという感覚。それを持って生きている人がすごく少ない気がします。皆さん、今一度、見せる生き方、考え直してみませんか。
■ 「モットー」を持って生きる
じゃあ、どうやったら見せられるのかというふうに考えると、「いやあ、私、人に見せられるほど完璧じゃないし」とか、「見せるにも何を見せたらいいんだ」という人がすごくたくさんいると思いますが、ライフスキルですからまず「考える」ですね。思考です。
「聞かせるより見せる」と考えていきましょう。見せようというふうに心がけていくこと。その意識からが始まりです。
「見せる生き方をしよう」と考えてください。「見せる姿勢を作ろう」と考えてください。「聞かせるより見せることが大事だ」というふうに考えてもらえると、すごくいいですね。そこからが始まりです。
皆さんで言うと、どうやってそれを育んでいったらいいのかというと、
例えば自分が「どんなことをいつでもどこでも見せたいのか」という自分の根幹にある人生のモットーみたいなものを見せられるようにして、言葉にして、背中に貼って生きる感覚でしょうか。
どういうことかというと、例えば、私のモットーはいろいろありますが、「元気でいる」なんていうのも私のモットーの一つだし、「正直である」とかいうのもモットーかもしれませんね。
私のオフィスのスタッフと共有しているモットー、みんなで共有しているモットーは、「愛・品・真」と呼んでいます。前回のコーチ力にもまさに出ていた分野かもしれませんが、この愛という分野ですね。愛をもって生きるとか、愛をもって接する。品=品位を持って生きる。品位を持って接する。真=真を持って生きる。真を持って接する。「愛・品・真」というのがモットー。
「自分のモットーっていったい何なんだろう」「人に伝えたい、行動で見せていきたいものって何なんだろう」「自分がモットーとして実践しながら、見せられるものって何なんだろう」と考えるのも、見せることの価値を自分に気づかせるこのコーチ力を育んでいくための、一個の練習かもしれませんね。
皆さんのモットーは何ですか。そのモットーを背中に張って生きていますか。そのモットーを背中に貼りながら、言葉にし、みんなに見せていますか。
もし、この見せるということの生き方が腑に落ちていなく、もしくはちょっとずつ忘れられて、見せることがおろそかに、もしくは軽視されてくるとどうなるか。その典型的な例が、まさに「言動不一致」ですね。
■ 言動不一致はノンフローにさせる
「言うこと」と「行うこと」の不一致を起こすと、人をノンフローにできます。
人をノンフローにしたければ、言動不一致さえすればいい。すなわち、モットーを掲げ、見せていくことで、自分の行動とリンクさせて人にフローを作っていくと同時に、そうしていく生き方が、また自分自身をも学ばせて成長させていける。そこが好循環なスパイラルに入ります。
ノンフローになる人を頭の中にリストで浮かべてもらうと、言動不一致なやつが多くないですか。「あいつ、言ってるだけだな」とか、「言ってることとやってることが違うな」とか、そういうふうになると、我々はもう確実にノンフローになりませんか。
言っていることとやっていることが違う。
言と動の不一致は、言はまさに聴覚、動はまさに視覚。この聴覚と視覚の不一致が起こることによって、我々はノンフローになります。
まあ口で言うのは簡単で、実際に行動するのは難しいですけども、だからこそ人をフローにしていくために、そこを大事にして見せることの価値を重んじながら、伝えたいことがある時はまさに心の状態を、相手をフローにしていくためにも、「見せる」「行動する」ということを大事にし、その原点は、もう一度、今一度自分のモットーに立ち返って、それを背中に貼って堂々と毎日多くの人に見せて生きていけるかということですね。
キーワードは、「見せる」「言動不一致に気づく」「聞かせるより見せる」。
視覚の情報が聴覚の倍もあるとわかって、皆さん生きてください。知らないうちにまわりをノンフローな方向に持っていっているケースが、少なからずあると思います。
■ 「生き方を見せるスポーツコーチ」
ほかに見せる生き方で私が伝えたいとすると、アメリカのスポーツのコーチの事例で、おもしろいことを聞いたことがあります。
新しいシーズンに入る時、チームでミーティングをします。子供たちのチームです。
アメリカのバスケットボールのコーチングのフィロソフィーとして、シーズンが始まる時にコーチは目標を伝えるのは当たり前で、今シーズンの目標を伝えるだけではなく、コーチがどのようなモットーを持って、今年1年生きていくのか、チームの目標、目指すものがあったとしても、コーチはどのようなモットーを持って子供たちに当たるのかということを、年度始まりの親も集まるミーティングでしないといけないそうなんです。
その話を聞いた時に、「ああ、そうなんだ。ただ結果の目標だけを掲げるのとは別に、子供たちってコーチを見ているから、コーチは子供たちと接する時に、「自分がいつも大事にしているモットーはこういうことなんだ』ということを、文言としてしっかり子供たちに、まあまずは聞かせ、そして、「そのモットー、文言に沿った生き方をしよう』としていくことが、何よりチームを一つにしていくし、勝った時の喜びも大きいし、ノンフローになっていった時に切り替えることにもつながるし、すばらしいな」とあえて思いました。
我々はこの言動不一致の中でノンフローにさせられていることが多いので、自分のモットーを明らかにし、自分が見せる生き方をしていくための礎を持ちつつ、「常に見られているんだな」ということを考えていくこと。
「見せよう」というこの話になると、多くの人が「自信がない」とか、「完璧じゃないのに人に見せられるのか」ということの質問をされる方が、少なからずいます。そんな時に私はこう言います。
別に完璧になって何かを行動するのではなく、まずライフスキルですから考えてください。聞かせるより見せて考えてください。もしくは、「見せる生き方を大事にする」と考えてください。もしくは、「見せる生き方を自分のためにも、そしてまわりのためにも自分はするんだ」と考えてください。その思考が、脳の中にそういう行動を起こす自分を作っていくので、考えるだけだったら誰でもできますね。
■ 見せる生き方が影響力につながる
どう見せなきゃいけないのかということを考え始めると、我々は自分に立ち返って、最終的には「そんなに人に言えるような自分じゃないな」と、みんな落ちついてしまいます。
言えるだけじゃなくて、「人に見せられるような行動を全然していないし、そんな完璧な自分はいないし自信ない」となりますが、あなたがそれをできているかどうかではなく、見せようとする姿勢を持って生きているかどうかが重要なんです。
ほとんどの人は、聞かせることでしか、人と接点がなかったり、影響を与えていないんですけれど、「見せる」ということの重要性をわかって生きているだけで、結局は成長していくことにもつながる。
皆さんが今まで育ってきた中で、働いてきた中で、学んできた中で、部活その他、スポーツの指導を受けてきた中で、どんな指導者が良いのかと多くの人に列挙してもらうと、やっぱり模範となるとか、見せてくれるという要素は少なからずあります。
何度もいいますが、じゃあ完璧にならないと、コーチ力を発揮できる場にならないのかというと、そうは関係なく、まあ自分が見せようという生き方をどれだけしているのか。
逆に言うと、今までのライフスキル、社会力の中に登場していたかもしれない、根拠に関係なく自分を信じるみたいな、そういうライフスキルをしっかり持っていることが、いわゆるコーチ力のライフスキルにもつながってくるのではないか、というふうなことを考えています。
■ コーチ力の「醍醐味」の1つ
見せられることがすごく多いかもしれませんが、見せることの重要性と、見せたら聴覚だけじゃなくて視覚の分野でも意識して、言動不一致の自分から少しでも離脱して、自分自身のフローをつくれる。そのほうが気持ちよくないですか。
結局、コーチ力を発揮して見せる生き方をしていると、相手のためにもなっているんだけども、気づけばもっとも実はそれが自分のためになっている。そんな生き方につながっていけます。
「子供のために完璧にならないと、子供にはじゃあ何も言えないのかしら」となる人もいるし、「部下に『じゃあ見せろ』って言われても俺、完璧じゃねえし」という上司や経営者がいるかもしれませんが、見せることが大事だと考えて生きていることによって、あなた自身も結局は成長していくことにつながる。コーチ力の醍醐味の一つでもありますよね。
「見せてあげよう」といつも意識していくうちに、そのことが相手にも伝わり、自分の行動に必ず反映していくだろうし、その一つとしてモットーみたいな、誰でもが割と持てるものを大事にして、そのことを背中に貼りながら、みんなに見てもらうということの重要性を感じとっていってもらえればいいんでしょうか。
簡単に言えば、見せてあげようと考えながら生きてもらえれば、それだけでもう絶対に今までの脳の使い方とは違うので、まわりに何か違う反応が起こり始めるはずです。
完璧で自信のある人はいないが、見せてあげることの重要性をわかることによって、自分自身のフローをつくれる。自分自身のフロー体験が増えれば増えるほど、そこから育まれるライフなスキル、ライフスキルというものが身についてくるという、すばらしい構造なので、ぜひ引き続きコーチ力4つ目のこの「見せてあげる生き方」「見せてあげる姿勢」、ぜひ意識しながら多くのまわりの人に接していってもらいたいなというふうに思います。まわりをフローにする生き方、わかってあげる生き方もコーチ力の最初で皆さんに熱く語りましたけれども、頑張ってください。