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フローマインド8    不快対策思考に気づく生き方

2021.04.29

不快対策思考に気づく生き方  (辻秀一メソッドより)


 

■             不快の原因は常に自分の中にある

今日のテーマは、不快対策思考に気づくです。

不快な感じというのは、心で感じていること。我々の共通の言葉で言えば、ノンフローな感じ。これが不快な感じです。機嫌がいい「快」の感じ、心地よい感じ、気分のいい感じ、楽しい感じ、「快」の感じを我々はフローと呼んでいます。

不快か快かというのは心の状態で決まっているわけですが、大抵の人は認知の世界で生きているので、快とか不快とかいうのは外によって決められていると思っているわけです。

「不快だ」というのは雨には存在していなくて、実は自分に存在しているわけです。「楽しい」のはディズニーランドに存在しているわけではなくて、 自分の中に存在している。「ボーナス」に「楽しい」があるわけではない。「お金」に「楽しい」があるわけではない。そのモノに、事象に、その人が認知・意味づけをして、快や不快が起こっているわけです。

 

ただ、この「辻メソッド」の原理原則をほとんどの人は知らず、認知で生きているので、外側にあることを基本的に「不快」と考えているわけです。『環境』、『経験』、『他人』にです。「あいつがいるから不快」「天気が悪いから不快」「人身事故があって今日は電車が満員なので不快」と言って、外側にいろいろな不快な出来事が多いんだと。そして「何かいいことないかなあ」と、基本的には外側の出来事で快をつくろうとするし、外側の物によって不快が起こってしまっていわけです。

 

■             ポジティブ・シンキングは万能か

そこで、環境的なこと、経験的なこと、そして人的なこと、不快なことはいっぱいあります。それを「何とかせねばならんな」と、それなりには思っているわけです。それなりに思っている時に、我々は一般的にどんなことをするかということを、ちょっと今日は考えてみたいと思います。

一般的にどんなことをするかをお話しする前に、今から申し上げる「その不快に対してどのような対策をすればいいのか」と考えがちな、いくつかの共通の思考があります。先に結論から言っておきますと、外側の出来事は変えられないし、この思考では自分の気分は決してフローな方向にはいきません。

しかし、この認知という外側に向いている脳のやり方の一つとして、不快に対してこういうふうに考えて、ちょっとで楽しい快をつくれたらとやっていることが、たくさんあるんです。

 

不快対策思考のいい部分といいますか、認知思考の中の不快対策思考として、誰もがよくやっている一般的なことの王道が、まず「ポジティブ・シンキング」です。私は不快対策思考の中にポジティブ・シンキングは入れていませんが、まず一般的な不快対策思考の1つとしてポジティブ・シンキングがあります。これは、外側の出来事に対して、無理矢理ポジティブやプラスに自分の気分をちょっとでも変えようとする不快対策の王道です。世界的にもやられていますし、日本中でやられていますし、誰でもが持っています。私も当然、認知の世界で生きているので、不快なことがあった時に、私のメソッドのライフスキルとは別に、この認知の王道、プラス思考、ポジティブ・シンキングというのもやりがちです。

 

例えば、雨が降っていて、「この雨も俺にとっていいことなんだ」とか、電車に乗り遅れて、「もし乗っていたら事 故にでも遭ったかもしれないから」とか。失敗したのも、「これもチャンスだ」というやつです。

プラス思考、ポジティブ・シンキングに類似して、「悲観的に考えずに、楽観的に考えよ」があります。同じ出来事なんだから、楽観的に考えよう。例えば、よく出てくる例ですが、コップに半分水が入っているとする。「半分もない」と悲観的に考えるんじゃなくて、「まだ半分もある」と楽観的に考えようって、みんなやっているわけです。

このポジティブ・シンキングやプラス思考、まあそれに類似した楽観主義というのは、決して私は否定しません。私もやります。ですがこれは「認知による心を変えるやり方なんですよ」ということが言いたいです。もともと自分が意味づけしてしまっているものに、無理矢理プラスな意味づけに変えようとしたり、楽観的な意味づけに変えようとしているので、結局はちょっと苦しくなっていることが、しばしば散見されるわけです。

 

プラス思考、ポジティブ・シンキングのこととか、楽観的にものごとを考えるというのは、認知の世界からいったらとても重要なことなんですけども、このやり方をやっていて、実は意外にしんどくなっているおじさんたちの共通言語で、「気合い」があります。ポジティブ・シンキングや楽観主義で全部やっていると、ちょっとしんどくなるので、常に何か「気合いだ!」みたいな感じで言わざるを得ない。

でも、電車に乗り遅れて「あっ」となっていたり、自分にとって失敗だということが残念だったりするのを、無理矢理「チャンスだ」とか「いいことなんだ」とか、プラスやポジティブや楽観的に考えるのには、ちょっと限界がある。だからその限界を超えるために、また無理して「気合いだ!」と言っているような気がしてなりません。

そこにちょっと無理があるので、気づけば何か飲みに行かなきゃいけなかったりとか、飲んで騒いで気分をよくするということにせざるを得ないように思えますが、

今日これからお話ししたいこの不快対策思考の、まず一般的に「いい」と言われている不快対策思考が、このプラス思考とポジティブ・シンキングと楽観視、楽観主義というやつですね。

 

■             陥りがちな6つの不快対策思考

我々が一般的に不快なことがあった時に、認知の脳で考えるいくつかのパターンがあります。

一つめの不快対策思考は、「逃げる」と考えることです。逃げると楽な気がします。確かに目の前のものが認知されて、不快の原因は「私の目の前にあるんだ」とすると、逃げると当然、その認知というものが弱まるので、気分が変わりやすくなるわけです。でも、実はこれは目の前から逃げて、不快という意味づけが起こりにくくなっただけです。ここで逃げたところで、『環境』と『経験』と『他人』は常にやってくるので、また不快が生じる可能性がいつもあるわけです。

「逃げる」ということで不快を軽減しようとしている人は、いつまでたっても逃げ続けないといけないという、「逃げるノンフロースパイラル」の中に入ります。まあ、その人はノンフローにはたしかにならないかもしれませんが、フローにも決してならないですね。

「逃げる」という思考は、実は誰でもやろうとします。スポーツ選手だって一流のアスリートだって、一流のビジネスマンも逃げたくなります。これはしょうがないです。認知の脳が「そういう選択をすれば楽になるぞ」と、認知するわけですから。ただ、「逃げるな」と私は言っているのではなくて、「逃げてもまた不快はあるぞ」「逃げてもフローはやってこないぞ」ということを知っている私たちになりたいのです。

 

フローの価値、覚えてますか。あなたにとって、フローの価値は何ですか。ノンフローよりフローだったら、あなたはどうなるんですか。揺らいでとらわれているより、「揺らがず・とらわれず」な方向へいったら、どうなるんですか。機嫌が悪いより、機嫌のいい状態でちゃんと目の前のものに対峙したら、どうなるんですか?

フローの価値を自分ごとにできている習慣のある人は、「逃げる」ではフローがやってこないとわかってくれば、自然に「逃げない。逃げない」としなくても「逃げる」という選択肢が脳の中で減るんです。言いたいこと、伝わっていますか?

「逃げる」というのは、人間はやるんです。しかし、「逃げる」ではフローは来ないです。そして逃げると一時的に不快対策にはなって、ノンフローは軽減されますが、また逃げたところにもそういう現象が起こり続けるので、決してこれはフローライフを生まないということが理解できれば、「逃げる」は自然に減ります。

ところがみんな、それを理解していないから「逃げちゃいけないんだ」「逃げるな、逃げるな」「ポジティブだ」とか言って「気合いだ」になるわけですよ。これがよくありがちな不快対策の感覚です。

 

■「あきらめろ」と認知がささやく

2番目は「あきらめる」。あきらめないというのは、僕らにとってすごくいいことで、不快対策思考はその逆ですよね。「あきらめる」ですよね。あきらめると楽になります。

今「あきらめない」と言いましたが、「あきらめない、あきらめない」というのが、はたして辻メソッドでお教えしていきたいライフスキルでしょうか。「あきらめない」と言っている脳は外側の出来事に接着しているわけです。あきらめそうだから「あきらめない」とやっているんです。あきらめていない状態の人は「あきらめない」ってやらないんです。

ちょっと遠回りになりましたが、まず我々は不快対策思考として、「逃げる」の次に「あきらめる」というのをやりがちです。そして、あきらめることはどこかでいけないから、「あきらめない、あきらめない」と言っています。これは認知の中で堂々巡りをして、実はフローなど生まれないんです。「あきらめない、あきらめない」と言っている人は、あきらめると考えている人だし、あきらめると楽になるので、またこれは「逃げる」と一緒で我々はや

りがちです。

 

例えば、「不快はいけない」「ノンフローはいけない」と習ったと。バスケットボールで残り5分を切って、15点差で負けている。「ああ、なんかディフェンスもリバウンドも一生懸命やって苦しいなあ。苦しいのは、これはもしかするとN(ノンフロー)の感情で、俺は今、ノンフローなんじゃないか。フローにならなきゃいけないな。そうだ、あきらめたら楽じゃん」と言って、急にあきらめると不快は減りますね。しかし、この「楽ちん」はいわゆるフローじゃないですね。「逃げる」にもちょっと似ています。

 

あなたのパフォーマンスがその状況の中で高まる心の状態をフローと呼んでいますので、フローは、ただの楽ちんじゃないんです。今残り5分を切って、ディフェンス一生懸命やって、リバウンド取って少しでもシュートを決めて追いつこうとしている時に、あきらめて楽ちんになった。それはフローじゃないです。なぜなら、あなたのパフォーマンスは上がっていないからですね。

ただ僕らは「あきらめると楽」というのも知っていますので、つい認知があきらめというのを選択します。不快対策思考のその2は、「あきらめ」です。

認知は、あきらめるだけの根拠を持つわけです。「残り5分で今までの経験上、15点も離れていたら追いつけないんだ、これはあきらめたほうがそろそろいいぞ」とか、「残り何日間でこれだけの案件を処理する。これはもうあきらめたほうがいいぞ、過去の経験上」と、認知はどんどんつくってきて、「あきらめたら楽だぞ、お前は」と、あなたにささやきかけてきます。これが不快対策その2。そして、先ほどの「逃げる」と一緒で、いくら「あきらめない」とやったってだめです。「あきらめない、あきらめない」は「あきらめる」という認知がある人がやっていることだからです。

 

■「あきらめない」ライフスキルはない

「あきらめない」という言葉は、非常に美学で、我々は使いがちです。なでしこジャパンの澤選手たちが、アメリカ戦を含めてワールドカップで「あきらめなかったことです」と言ってるんですけど、実は彼女たちは「あきらめない」とかはほとんどやっていないと思います。

あきらめるとかあきらめないとか言うんじゃなくて、この瞬間、自分はさらに「やり続けるか・やり続けないか」

「ノー・エクスキューズ」なんです。自分の心は自分でただ決めているだけなんです。言葉を選んでいるんです。表情を選んでいるんです。態度を選んでいるんです。「揺らがず・とらわれず」を、自分でつくろうとしているんです。認知、意味づけに気づいているんです。「今までアメリカに勝ったことがないからあきらめる」とか、「残り何分で今までの状況でこれを追いつくのが難しいから追いつけないのであきらめる」とかいうのは、全部認知、意味づけで起こっていることなんだ──ということに気づいているんです。

ということを普段からやっているので、「あきらめない」という状態がやってくるだけなんです。あきらめないというライフスキルは、実はないのです。

 

「“ノー・エクスキューズ”は言い訳しないじゃない」という話をしました。「自分の心は自分で決める」ということです。ライフスキルが磨かれて、いつも自分の心は自分で決めると、「言い訳しない」なんて言わなくなります。いつも自分の心は外側の出来事に関係なく決めるようになるからです。「言い訳しない、言い訳しない」じゃない。人間は言い訳するんです。その機能は認知の脳がある限りやり続けます。

しかし、ライフスキルというのを磨いて「ノー・エクスキューズ」な生き方なり、表情、態度、言葉を自分で選び、ポジティブ・シンキングや、プラス思考や、楽観視とは違った、外側の出来事とは関係ない、自分の心にフローをつくれる脳の使い方を磨いていくと、「あきらめない」という状態がつくられるようになります。それがまさにフローなわけで、「揺らがず・とらわれず」という状態がつくられれば、自然に「あきらめないあなた」になるし、「言い訳しにくい自分」になっているんです。

ということが、私が伝えたいことですが、ほとんどの人は一般的に認知の世界で生きているので、まず不快対策1の「逃げる」をやります。2番目「あきらめる」をやります。楽ですよね。楽ちんです。ここから来る「楽ちん」は、何回も言いますがフローではないですよ。あなたのパフォーマンスが上がる方向へは行きません。でも、この思考を選択する人はたくさんいます。

 

■             認知の脳は外側に接着している

不快対策思考の3つ目は、「気にしない」です。認知は気にする仕事なので、気にするわけです。「気にしない、気にしない」「過去の成績気にしない、気にしない」「あいつ嫌な上司、気にしない、気にしない」「あと何日、気にしない、気にしない」

超気にしてるんですよ、これ。

「気にしない」という不快対策思考を、とても使っていますが、本当にそれでフローになる人、見たことないです。

本当に気にしてない人は、「気にしない」と言わないです。

「あの上司のこと、俺、気にしないようにしてるんだ」って、気にしてます。

「朝から雨、俺気にしないんだよ」って、気にしてますよね。

我々が本当に気楽にやりやすい不快対策思考の王道は、まさに「気にしない」です。「気に しない」と言って、気にしなくなったことありますか。そんなやつがいたら見てみたいです。「気にしない」と言って気にしなくなるなんて、ほとんど起きにくい気がします。

なんとなく切り替えている気になるし、でもこれは認知の世界で外側の出来事に接着しています。「何々を気にしない」だからです。

認知の脳は、常に外側の出来事に接着しているわけですから、それによって実は気にしていくようになるわけです。ライフスキルというのは、こういう「外側の出来事に接着していない脳の使い方」です。

 

ライフスキルで「好きなことを考えましょう」だったら、「なんでここで好きなことを考えなきゃいけないんだ」という理由は、外側にはないのがライフスキルです。だって好きな  ことを考えたほうが、「気にしない」ってやっているよりはちょっと気分変わらないですか。

好きな食べ物を考えているだけで、今ちょっ と気分がよくなりますね。ここで限られた時間の中で皆さんに伝わるようないい話をしなきゃいけないという状況は、私にはありますが、それでも今、「納豆好きだなあ」と考えたら気分がよくなります。納豆がすきなので。

それを、「いや、これは今録音中で失敗とかがあって、そんなことは気にしないんだ」とか、「私が話している目の前にいる人たちをカボチャだと思って気にしないんだ」とかいったら、超気にしてます。そういう発想とライフスキルは一切違います。しかし、一般的にはライフスキルが未熟なほとんどの人たちは、この認知の世界の中で不快対策思考その3「気にしない」をやるのです。

 

■             考えないと認知の機能も低下する

次、4つ目は「考えない」。「気にしない」に似ていますが、これも我々がよくやるやつです。「考えない、考えない。考えてるからいけないのよ」「どうしよう、最近こういうことがあって」と、友達や同僚に相談したりすると「いや、考えない、考えない、そんなことは。考えないようにしなさい」ってなるのです。

 

考えないっていうのは、お釈迦様が煩悩を捨てて浄土極楽に行く悟りのレベルですよね。考えちゃうのが人間なわけで、認知は止まらない。考えない自分が来るなんて、相当レベルの高い悟りの境地です。それを一般的に我々はなんかいつも言っている。考えない、考えない。

たしかにわかります。考えるとノンフローになるから、考えないようにしようという方法、不快対策思考は一理ありますが、「考えない」と言って考えないことは難しいんです。人間の機能に反しています。「息をするな」と言っているのと一緒です。「心臓止めろ」と言っているのと一緒です。それぐらい敷居の高いことを、我々は日常茶飯事に みんな言ってますね。考えるのが人間なんですよねという気がします。

 

考えない一番の代表は「認知症」の人たちですね。「私は誰」「ここはどこ」みたいな、考えられなくなるのが、認知症と言います。考えないという習慣がついてしまうと、外的な状況に対して何をしたらいいのかというパフォーマンスの行動を決定していく部分が弱くなります。「考えない、考えない。雨も考えない、考えない」。そうすると、「雨だから傘を差す」ということまで忘れてきます。

考えないという習慣は、それこそ認知の世界をも落としてしまうので、いい仕事ができにくくなります。「考えない」 は無理だし、「考えない」という習慣は認知の機能をも落とすという悪しきスパイラルに入りがちです。

 

これが得意なのが、いわゆる体育会系ですよね。体育会系って、まあ認知したら不快なことが多い作業なわけです。ビジネスもそうかもしれないので、ビジネスマンも「考えない」とやるんですが、スポーツ、体育会系。朝早く重いものを持って走る。不快の三重奏の感じですよね。そこに僕らは意味がついているわけです。「朝早いのはいやだな」「重いのもいやだな」「走るのもいやだな」と意味づけの中で、じゃあどうやって少しでも不快に思わないようにするかって、「考えない、考えない」といつもやっていると、本当に「考えない」とい   う習慣がついてしまいます。

 

体育会系が就活で「僕は体育会で考えない力を養ってきました。いろいろストレスや大変なこの社会情勢の中で、僕は考えないという力があるので病むことはないです」みたいな売りに出そうとしますけれど、「お前、考えないやつは会社で使えないんだ」と。会社、ビジネス、社会というのは、ただ首から下だけ重いものを持っていれば済むんじゃなくて、考えないというやつは確かに病みにくいかもしれないけど、「何も考えないから使えねえぞ」ということが、だんだんわかってきたりする。

一時、ただ体育会系というだけでは就活がよかった時代がありました。しかしそのあと何も考えずにパフォーマンスを落とさないコンピューターとか機械とかロボットなど、本当に考えずにパフォーマンスを出せるやつが世の中に登場してきたので、考えない力のある体育会系の価値が非常に下がり、体育会系だからって採らなくなりました。まあ、体が丈夫だというのはあるかもしれませんけど、体が丈夫だというのも妄想です。

 

■             考えなければ、結果は出せない

人間というのは医学的に言うと、「昔、体育会で体を鍛えてきたので大丈夫です」は、その後も継続的に体を動かしていない限り、何の効果もないということが、学問的に証明されています。ハーバード大学の医学部が何万人もの卒業生に、昔運動していることと今運動していることのどっちが今健康で丈夫な体をつくるかという研究をしたら、昔の運動歴はほぼ今の健康と元気には関係ないという、衝撃的な調査があります。昔体育会系だったので、もともとガタイが丈夫だということはあり得ると思うんですね。体育会に耐えてきたのでね。ですが今やっていないとだめなので、体育会系の価値が下がっています。

 

ただ、私がメンタルトレーニングしているいろいろな大学のスポーツのチーム、体育会系の部活、スポーツの連中は、皆さんに今お伝えしようとしているスポーツを通したライフスキルを磨いています。外的な状況に関係なく、自分の心の状態を保つ力、自分の心は「自分で決めていける力」「表情、態度、言葉を使って自分の心を決めていく力」、ほかのライフスキルで言うと、「今に生きる」というような脳の力をつけています。過去のことを考えて揺らいだりとらわれたり、未来のことを考えすぎて揺らいだりとらわれたりする中から、いつも「今」に集中して最大の集中を 生み出していく。過去のことを考えて「これは無理だ」と決めてしまったり、未来のことを考えすぎてあきらめたり するということから脱して、「今に生きる」というライフスキルを磨いている体育会の連中は、ライフスキルを売りに就活をやっていますけど、みんなうまくいきますよね。ありがたいことに。

実際に一流の選手、イチロー選手、テニスの錦織選手、バスケの田臥選手、さまざまな一流プレーヤーは、このライフスキルが間違いなく高いです。例えばイチロー選手は「考えない力が高い」とは、どう見ても皆さん、思えない  ですよね。「考えない」が4つ目の不快対策思考です。認知という世界の中で起こる不快対策思考ですね。

 

■             忘れることは問題解決にならない

そして5つ目は「忘れる」です。みんなよくやります。「忘れろ、忘れろ」って。これもできないです。

人間というのは、起こって考えたことが記憶の仕組みの中に入ります。また忘却の構造も人間にはあります。それがあるおかげで、生きていくことができるので、だから皆さん、どんなに苦しいことがあったり、どんなに失恋があっても、時間がたてば誰でも不快が薄れます。

それは忘れるということが人間の機能の中にはあるからなんですけれども、ただ、この自然のナチュラルコースとしての「忘れる」ではなく、自分が認知、意味づけして不快だと思っていることを、意識的にそれを「忘れろ」ってやっちゃっているのは、忘れられないですよ。ナチュラルコースで人はどんどん忘れていくことができるので、失恋してもまた新しい恋ができますし、どんなに失敗しても、人はある程度の時間がたてば立ち直れるのは、人は忘れるように仕組みとしてできているからです。自分が不快だと感じ、忘れていないことを「忘れろ」という方法論は、私は賛成できないです。それは先ほどの「気にしない」「考えない」に共通している、余計忘れられなくなるやり方だというふうに考えるからです。

それこそ飲みに行って、「まあ忘れればいいんだ。飲もうぜ」ってやってますけど、その忘れなきゃいけない事実はなくなるならいいですけど、また会社に行ったら余計二日酔いでそのものに対峙しなきゃいけないので、「忘れようぜ」ってただ言ってるのは抜本的改革には絶対つながらないです。一見、「忘れよう」というのは美談に聞こえますが、難しいし、それだけではフロー化が起こりにくいというのを肝に銘じてください。

今、申し上げているような不快対策思考をするなとは言っていないんです。人間はする仕組みなんです。どんな人だって逃げたくなるし、あきらめたくなるし、「考えない」とやりたくなるし、「気にしない」とやるし、「忘れようぜ」とやってますが、少なくともフローは生み出されないですよ。「忘れよう、忘れよう」「早く忘れようぜ、そんなことは」って、フローにあまりなってないです。そんなことにまだとらわれているからですね。そんなことに、まだ揺らがされているからです。

 

■             我慢してもいいことは起こらない?

そして最後です。僕らが割とやりがちな不快対策思考の6番目は「我慢する」です。「耐える」とか、「我慢していればいいことがあるんだ」といって「我慢する」というふうに、脳を使っています。

そのことに我慢する。そのことを我慢する。その時我慢する。それに耐える。それを耐える。

まあ、すばらしいように聞こえますし、我慢することや耐えることは、当然逃げたりあきらめたりすることよりもいいことは認めます。ただ、我慢しているということが本当にフローを生んでいるかどうか。我慢していれば、あなたのパフォーマンスは上がるのかどうかは、考えてほしいし、もっと極論を言えば、「我慢して耐えていればいいことがあるさ」というのは、もっと妄想的だと思います。

実際に、我慢して耐えているあなた、フローですか? パフォーマンス、上がってますか? あなたの機能は上がりますか?

機能の上がっていない状態を続けて、パフォーマンスが出ていない自分を続けて、本当にいいことを起こせるんでしょうか。「我慢して耐えてればいいことがあるさ」は、妄想だと思います。

 

時間の質を最大に高める以外に、いいことは起こしにくいわけです。

いいことを起こすために重要なことは、与えられた時間と与えられた自分自身、この質と機能を上げることです。それ以外に、いい方向に持って行くことは難しいんです。いいことを起こす自分をつくり出し、いいこととやっていくから、いいことが起こりやすくなるというのが、本来の筋なんじゃないでしょうか。

耐えていればいいことがある。オリンピックで金メダルを取った人は、一番我慢して耐えた人ではないです。金メダルを取るにふさわしいことをやった人ですよね、ということが、あえて言いたいです。

 

■             不快対策思考に気づくだけでいい

私も我慢するって美談のように思いますし、ポジティブ・シンキングやプラス思考と相まって、「巨人の星」で育った時代ですし、気合いも大好きだし、我慢するとかいうのもわかりますが、「いけない」と言っているわけで もなく、ライフスキルという脳の使い方をお伝えしているだけです。

今まで自分のやっていたやり方は、そこそこうまくいっているわけですから、みんなそこにもまた執着ととらわれを持っているので、まったく違うこのライフスキルという「心の状態に変化を起こす、外側の出来事には接着しないやり方」を強調して、「皆さんの考えていることでフローになれますか?」という問いかけをすると、何か 皆さん、自己否定された感じがして、なんか今までやってきたのが悪いというふうに、また意味づけをして聞こえる   らしいのですが、別に悪くないです。「逃げ」もいいし、「あきらめ」てもいいし、「考えなく」てもいいし、「我慢」してもいいし、「気にしなく」てもいいし、酒飲んで「忘れよう」ってやっててもいいんですが、それではあなたの機能と時間の質が上がるフローという状態は来ないですよということだけが言いたいのです。

 

「ああ、たしかにそうだな」と思う方は、今一 度ここで「不快対策思考を自分はしているな」と見つめてもらいたいし、「そこからフローは生まれないな」と考え直してほしい。

 

自分に気づくという力を養っているのが、大きな意味でライフスキルなので、「してるなあ」と気づいてください。それで以上終わりです。「しているからいけない」とか、「しているからしないようにしよう」じゃなくて、「してるなあ」です。

そして、それとは別に、淡々とライフスキルを使う。磨く。実践する。これが私からの大きなメッセージになります。

 

「自分に気づく」ということが大事なので、この6つの不快対策思考、自分はどれが比較的多いかなという、自分のパターンに気づくようにしてみます。

「俺と言えば『我慢と耐える』だな」とか、「すぐに『あきらめる』のが私のパターンだな」とか。「体育会で育ってきたから、『考えないと耐える』の合わせ技こそが俺だ」と気づいてくれるとか。「ちょっとしたことで『逃げてあきらめる』のが私だわ」というのでもいいですし、自分のパターンがどうなのかと気づくこと。これが大事です。

 

不快対策をしてしまった時、「ああ、してしまったな」と気づいて、必ずこう言ってください。「不快対策思考でフローは生まないよね」と。それを繰り返しているだけで、かなり変わります。

 

自分自身に気づくというのは、内側に脳を向けるベクトルを養っていくことによって、その自分自身の人生や、自分自身の時間や、自分自身そのものというのが外側の出来事とは別に動いてことを知ること。自分自身に気づくということは、自分の脳の仕組みに気づく。自分の心の状態に気づくといる2つなのです。

私のワークショップで本を読み、「真実とは何か」ということが書かれていることがあって、「真実とは何か」というと、外側にあることが真実だと思い込んでいるわけです。だから「何かいいことないかな」と言うし、言い訳するし、そしてポジティブ・シンキングで対応するし、不快対策をしようと するわけです。

でも、実は真実というのは①外側に起こる事実②自分の中に起こる脳の仕組み③それによって起こっている心の状態が合わさっています。でも僕らは五感を通して意識が外側にしか向いておらず、外側の事実だけが真実だと思っています。それに対して「どうしたらいい、どうしたらいい」と言っています。真実は事実、自分の脳、自分の心で構成されているので、真実の3分の2は自分の中にあるわけです。だから真実を見つめられる力を養っていくということが、結局は自分を変えていくことになります。あくまでも自分の内側に起こっていることが真実の大半なのだと気づくと、さまざまな意味で自分の質が上がるわけです。

今まで皆さん、気づかず外側の出来事に接着しているから、外側の出来事だけを分析、認知、判断しています。事実、真実は全部外側にあるというやり方をしてきました。なので内側に向ける自分をつくることによって、「自分次第でどうでもなるよ」とか、「自分の質を上げていくことが、真実を変えていけることになるんだ」と気づくことが、大切だと肝に銘じてください。

宗教は外側に神様をつくりだしているので認知的なんです。しかし宗教ではなく自分の心の状態をマネジメントする座禅とか、瞑想とか、ヨガとかいうのは、脳を内側に向けるという昔からある、自分を強化していくための実は知恵なんです。宗教は別に信じなきゃいけない神様が外側にいるという話ですね。なので、本当はこういう知恵を 人間というのは持っていて、自然とともに自分を見つめていくということをやれていたのが、認知の発達とともに、文明とともに自分自身を見つめる力がみんなむちゃくちゃ弱くなってるんです。学校でそんな時間はないじゃないですか。

だけど、スポーツをすると、ちょっと見つめるんですよ。実はね。なので、そこから培われた心の状態がスポーツ心理学だし、内側を見つめるという意味でスポーツというのを使って、ビジネスの世界にも応用しようというのが、私がやっている応用スポーツ心理学でしょうね。

 

 

──自分を見つめると、対策をより細かく立てられる。

今の自分に気づくと、外側にある不快なこととは別に、自分次第で変えていけるというチャンスに気づけるんで

す。外側のことだけに接着していると、外が変わらない限り不快感が変わらないと思っているからです。だけど自分を見つめると、不快感はあっても外側のこととは関係なく自分というものがもっと自分をマネジメントしていけるんだ、ということに気づく。気づいていく素地がみんな弱いから、みんなただ外側に向かっている認知の脳で、テクニックをやろうとするので、ポジティブ・シンキングのようになるんです。

例えば先ほどもちょっと事例に出しましたが、好きなことを考えれば必ずフローになります。ですが自分がそういう気分をつくっていけるとか、理由は内側にあるんだとか、真実は自分の心や脳なんだということがないと、「なんでこんな状況の中で、好きなことを考えなきゃいけないんだ」という認知だけで、このライフスキルを受け止めます。すると全然この人間力としてのライフスキルが育たないんです。

だから、育つための素地づくりでもあるんです。みんなノウハウ好きだから、気づいて「バラ色な気分になりたい」と思っているんだけど、地道な作業なんですよ。別途長年にわたって認知で過ごしてきたから、「外側に接着した脳の使い方をしても、俺の心はちっとも変わっていかないんだな」ということに気づいていけば、俺というものにもっ と目が向きます。すると「じゃあ私をよりよくしていくためのいろいろなライフスキルという脳の仕組みがありますよ」というと、もっと受け止めるようになります。


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