フローマインド9 ポジティブ・シンキングと違う生き方
2021.04.29
ポジティブ・シンキングと違う生き方 (辻秀一メソッドより)
■
認知脳が文明を発達させた
今日はポジティブ・シンキングとライフスキル。
この違いについて考えて みたいと思います。
私たちが通常使っている脳は、外側の出来事に対応する認知という脳です。この認知脳は、外側の出来事に対して、行動のソリューションを見つけていくために、脳が外側に向いているわけです。
カモシカがライオンを見たら逃げる。この行動をつくるのが、「認知」です。雨を見たら、 傘を差す。その他全部認知の脳がやっている……。皆さんの行動の原点になっているところです。
人間は、この外側の出来事に対して、生命維持を越えて認知して行動のレベルを上げていった。それを「文明の発達」と言います。飛行機を飛ばし、ネットをつくり、銀行をつくり、お金をつくり、電気をつくり……。火をつくるところから始まり、道具をつくるところから始まり、あらゆるものを人間はつくりだして、我々は文明を発達させてきた。これが認知脳の大きな働きです。
認知脳は、したがって我々にとても大きな豊かさ、価値を文明としてもたらした。動物よりもこの認知脳が働いていることが、我々の現在の発展を遂げた「人間社会」をつくったわけです。
しかし、この認知脳は常に外側の出来事に基本的には向かっているので、「より便利にするにはどうしたらいいんだろう」「より速くするにはどうしたらいいんだろう」というような、外側に向かって働き続けているのです。そのためどうしても私たちの心という、一人ひとりの人間としての内側にある部分、これが取り残されがちです。脳が外側に向いてしまうがために、意外に世の中すべてわかっているようなつもりで生きています。しかし、実は内側、自分自身に何が起こっているかというのが見えていないということがよく起こります。認知脳が長けているからこそ起こる「リスク」とでもいいましょうか。
では自分たちの心をよくしていこうと考えた時に、この認知脳が外側の出来事に意味づけしていくことで、揺らぎやとらわれが起こるのだとすれば一般的に「認知しなきゃいいかじゃないか」「意味づけしなきゃいいじゃないか」と考えがちですが、それは無理です。
人間の機能上、人間は常に外側に認知の脳が働いて意味づけする仕組みをつくっています。人間はもう朝から晩まで心の側面で意味づけによって、揺らぎやとらわれが起こります。もちろん、意味づけにはいろいろありますので、 天気がよかったら「よかった」、晴れたら「よかった」という意味づけをつけて気分をよくすることもあります。「雨だから今日はイヤだな」という意味づけをして、ブルー、すなわちノンフローな方向へ行くこともあるでしょう。
■ 古くて新しいライフスキル脳
もともとどんな出来事には意味などついていないのに、僕らはこの認知の脳で意味づけしながら生きてきて、これだけ豊かさをつくってしまった。一方で、心の部分に関しては揺らぎととらわれが認知の発達により、ますます増えてきてしまったのも現実だと思います。
認知症になれば私らは認知しなくなるので、揺らぎやとらわれがなくなるので、いつもご機嫌です。ただし、認知症になってしまうと、外側の出来事に対して行動を見つけることができません。夜中に徘徊してしまったり、リビングでトイレしてしまったり、人の家に行ってしまったりするわけです。
何が言いたいかというと、「認知脳は我々が人生を送るうえで正しい行動をするために、非常に必要だ。しかし、この認知による意味づけ脳で、我々は心に揺らぎやとらわれが起こる。そしてそれは24 時間365 日、死ぬまで続くのだ」ということを、まずいったん受け入れてくださいということです。
では、そのままでいいのかというのが、我々の命題なのですが、通常「ライフスキル」という、外側の出来事には関係なく、心のためだけに使う脳を人は練習していないので、どうしても認知の脳だけで生きてきてしまいます。
進化学的には、認知の脳のほうが解剖学的にも「新しい脳」だと言われています。ライフスキルのように、心の状態に焦点を当てた脳の部分を、古い脳というふうな言い方もされています。しかし今や新しい脳のほうに支配されてしまったがために、古い脳はほとんどの人は使われていないわけですね。
そこで大抵の人は、この古い脳──我々にとっては新しい脳ですが──ライフスキルを磨いていく前に、何をしているかというと、この認知の脳で何とか心の状態をつくり出そうとするのです。必ずしも誰もが揺らいでとらわれていることをよしとしているわけではないので、何とかしようとして、「意味づけを変えていこう」「さまざまなもののとらえ方をしていこう」と認知脳の中での解決策を見つけ、練習してきているわけです。
例えば、「不快対策思考6つ」などは、まさに認知脳の中での便利な脳の使い方です。
「気にしない」とか「考えない」とか、「忘れよう」とか、そういうものですね。「耐えるぞ」みたいなものですが、これはしょうがないのです。認知の脳の仕組みの中でだけ解決しようと思ったら、そこに行かざるを得ません。
■ 2つのポジティブ・シンキング
もう一つ、我々がよくやりがちな、流行っていると言いますか、認知の脳の世界の中ではよくやられているやり方が、「プラス思考」であったり、「ポジティブ・シンキング」というものです。
まず、プラス思考やポジティブ・シンキングでも、大きく分けると2 つあるような気がします。
1つ目は、外側に起こっている出来事を、「イヤだな」とか、「面倒臭いな」とか、「大変だな」とかいうような、本 来持っている意味づけを自分にとってプラス、ポジティブになるような意味づけに、無理矢理変えて、ポジティブ・ シンキングやプラス思考をやっているケースです。「雨はイヤだな」と感じているのに「雨はいいことなんだ」とか、
「電車に乗り遅れてヤバい」のに「ヤバくないぞ」とか、財布をなくして困っているのに「困っていないんだ」とか、誰かに腹が立っているのに「やつは別に腹が立つやつじゃないんだ」とか。要するに、もともとのある意味づけを覆して、プラスやポジティブのほうに持って行こうとしているポジティブ・シンキング、プラス思考です。これは相当にきついです。
自分に嘘があるから、なんとかそれでプラスに考えようとしているものの、本当に気分がよくなって、フローになっ て、上機嫌になってパフォーマンスが上がっているかというと、常に無理があります。「フローっぽい感じ」どまりですね。ちょっと気分がよくしているふり、装っているだけです。どこかでつらい。
もう一つ、プラス思考やポジティブ・シンキングの中で、こういう使い方をしている人もいます。これのほうが、まだましですが…。
起こった現象の中で、よいところを探そうとか、プラスの部分を見つけようというやり方です。つまり、雨がただ降っているのは、「雨はイヤじゃない」と考えてるに終わらずに、一歩進んで、もっと意味を見つけてい こうとするやり方ですね。「雨のおかげで水も飲める」とか、「もし雨が降らないと、お百姓さんも困るし、水不足になるし、夏困る」とか。雨が降っているいうことも考え方を変えていけばいい側面もあるんだという部分を見つけま す。そのプラスの部分を見つけたり、ポジティブな部分を見つけようとして、ポジティブ・シンキング、プラス思考と呼ぶのです。
それは先ほどのとはちょっと違います。先ほどのは無理矢理、自分の意味づけを、自分に嘘をつきながらも探していくやり方です。今のはやや視点を変えて、少しでも違う意味づけを新たにプラスやポジティブな面でつくり出そうという考え方です。決して悪くないです。
今、2番目に申し上げたプラス思考やポジティブ・シンキングも、全然すばらしいと私は思います。が、しかし、ライフスキルとは違います。
なぜなら、外側の出来事に脳が接着して、そこでまだとらわれているからです。いい部分を見つけることによって気分は変わってきますが、「いい部分を見つけなきゃいけない」と言って、まだ外側の出来事にゆらぎが生じているような気がするからです。
■ いいポジティブ・シンキング
今申し上げたような考え方が悪いとは言っていません。しかし、例えば、何か事が起こりました。自分は「これが失敗だ」とか、「最悪だ」という出来事が起こっている時に、それを無理矢理「これはチャンスなのだ」と考えるのは、先ほどのプラス思考、ポジティブ・シンキングの最初の例です。
自分にとって失敗とか思っているものを、チャンスだと変えるのは、相当難しい嘘がありますね。なので、このやり方は先ほども申し上げたように、どこかでしんどさを我々につくり出していきます。
もう一つ、その起こっている事象の中から、自分がチャンスだと思える部分を探して、「こういう部分をチャンスと考えればいいんだ」と、ピンポイントを見つけながら前へ進んでいくポジティブ・シンキングやプラス思考は、私 は賛成しています。しかし、「not so easy 」です。なかなか自分が失敗してがっかりして落ちこんでいる時に、そこの事象の中をまずチャンスだと変えることは無理です。また、チャンスだという部分を見つけられるほどのエネルギーに余裕があるかというと、ノンフローになっている時は難しいなと、私は感じています。
もちろん、そういうプラス思考、ポジティブ・シンキングが得意なアスリートもいて、ものの見方をそこでうまく変えて、違う部分を自分に嘘なくプラスやポジティブだと思える場所を見つけてやっている人もいます。これはすばらしい認知脳の優れた方で、これこそがプラス思考やポジティブ・シンキングとして見てもいいなと思っています。
例えば、同じ人を見ていても、悪いところを見ているうちは「嫌いだなあ」という気分が起きます。でも同じ人の良いところ、良いなと思えるところを見つけて、良いところを見ようとして、少し「嫌いさ」を減らして「好きだな」と考えるプラス思考は、先ほど言った後者のほうです。
「嫌いだ」という人を、「嫌いじゃないんだ。この人も好きにならなきゃ。ポジティブ、ポジティブ、プラス」と言っているのは、前者のほうのプラス思考とポジティブ・シンキングです。
前者というのは、意味づけを無理矢理かえようとしていること。後者というのは、視点を変えて、自分にとっての プラスやポジティブだと思えている部分を、わざわざ見つけだして、そこから自分の気分を切り替えていこうという やり方です。
私にとってみれば、どちらも外側の出来事に脳が接着しているので、認知には変わりありません。しかし「チャンスを見つけよう」とか、「いところを見ろ」とか、「学ぶべきものをそこから探せ」とかいうような、後者のプラス思考、ポジティブ・シンキングができる人はいいなと思います。
結論から言うと、私はノンフローな状態では、人間の機能は上がらないと思うので、この認知脳でそういうプラス な部分を見つけたり、よいところを見つけたり、学びの部分を見つけたりというよくやるやり方だけでは限界があります。その前にまず私がお話ししている「外側の出来事には関係なく、そう思考したりするだけで気分が変わる。外側の出来事には関係なく、言葉や表情や態度を自分の心のために選ぶ。なんでそんな表情、なんでそんな言葉、なんでそんな態度、なんでそんな思考が今ここで必要なの。外側には一切理由はないんです。それを選んでそうしているほうが、己の気分がいいんです」というライフスキルの王道のような考え方をして、外側の出来事の接着から離れて心をフロー化する。それさえすれば先ほど言ったポジティブ・シンキングも、よいところを見たり、チャンスをチャンスだと見つけたり、学ぶべきところを見つけるようなすばらしい認知の使い方すらも、できるようになります。
■ 自分で自分の機嫌を手離す
私のワークショップでいろいろトレーニングされている方々が、よく言います。「ライフスキルを使って磨いているからこそ、前よりも、実は前向きに物事をとらえられるようになった」とか、「前向きな部分を前よりも見つけられるようになった」と。それは『揺らがず・とらわれず』な心の状態が外的な状況に依存せずつくれるようになってきたから、ということなんですね。
外的な状況に依存するところから離れて、まず自分から始まります。認知、意味づけに気づき、自分自身の脳を磨いて、この脳によって思考、表情、態度、言葉を自分の心のために選ぶ。そして心の状態を「揺らがず・とらわれず」な方向へ持っていく。そのことができれば、人間の機能は必ず上がる。
心の三大法則、人は心の状態がある。心の状態は「フローっぽいか、ノンフローっぽいか」しかない。フローな方向へ傾けば、人間の機能は必ず上がります。そのためこちらの仕組みを先にやったうえで、認知脳の機能をブラッシュアップしてポジティブ・シンキングをしたり、前向きにしていくということが、このライフスキル、辻メソッドの画期的なところなのです。ただ、何回も申し上げているように、我々はこの認知という脳で支配され、生き続けるということが普通になってしまいました。そのため、どうしても我々はライフスキルを忘れてしまって、ライフスキルのようなものが使われず、外側の出来事に支配されています。外側に理由がないと思考ができない、外側に理由がないと言葉が使えない、外側 に理屈や根拠がないと態度や表情を出せない、というふうな生き方になってしまったんです。
そうなので、簡単に自分の機嫌をみんな手離しますよね。自分の機嫌こそ「最高の人生の宝物」です。自分の機嫌がよければ、自分のパフォーマンスは上がり、自分の機能は上がり、自分の時間の質は上がり、自分の行動に変化がもたらせ、結果すら招来し、運命さえ変える可能性がある。その一番自分の大事にしている機嫌を、あたかも簡単に手離してしまいます。
自分の最高の人生を守ってくれる機嫌を、簡単に手離すのはやめましょう。しかし、手離すような仕組みが認知にはあるから、手離さなくなるためには、このライフスキルを磨くこといかないわけです。
■ すべての出来事に意味はある?
もう一つ、よくやりがちなプラス思考・ポジティブシンキングは、「すべてのことに意味があるんだから」といっ て、常に意味づけを見つけて、何とか自分の心をよりよくしていこうというやり方ですが、意味づけも限界があります。なぜなら、自分の過去の経験の中からしか、自分にとって意味づけができないからです。「雨はイヤだな」と思っている人が、それに新しい意味づけを見つけるというのは、なかなか難しいなと思いす。
これは先ほどの「ほかの視点で自分にとってプラスやポジティブになっている意味のついている部分を見つける」というのではなくて、また「新しい意味づけを探せ」というやり方ですね。「これには何かの意味があるんだ」というやり方をよくやっています。これは3つ目の認知による、広い意味での僕の中でのポジティブ・シンキングです。
例えば、電車に乗り遅れた時に、「しまった」とか「ついてねえな」とか「チッ」みたいな感じ。これは認知して意味づけが起こっているので起こります。そのあと、不快対策思考の人はどうするかというと、そこで「気にしない、気にしない」と言いながら、自分の機嫌を何とか取ろうとする人です。そして、「乗り遅れたこともいいことなんだ」
「乗り遅れてよかったじゃないか」とやっているのが、今日の最初のポジティブ・シンキング。2番目は、電車に乗り遅れた中で、自分にとってプラスになる部分をわざわざ見つけて、心を沈静化させようとするやり方です。どういうことかというと、「この待っている5分の間に、ここの場所でものごとが考えられる余裕ができたのでよかったじゃないか」という、今起こっている事象に対して、自分がプラスやポジティブに思える部分を探すというやり方ですね。急いでいるより、ここでちょっとホッとして、自分はかえってよかったんじゃないかと、今起こっている現象の中で、自分が「よかった」と思えるものをわざわざ見つけて、そこで自分を納得させながら、やや気分をよくするやり方。これが一般的にやっているプラス思考ですね。
もう一つは、その乗り遅れていること自体に、何か意味があるんだと、まったく新しい意味づけを探したりするわ けです。
「もしかしたら電車に乗り遅れていることで、何か新しい出会いがここであるから乗り遅れることになったんだ」とか。「乗り遅れている間に、何かをひらめけという、何かのメッセージなのだ」とかいうようなやり方。それが3つ目の、意味づけを新たに見つけながら、何とかプラス思考、ポジティブ・シンキングをやっているというやり方です。
でも、ちょっと気づけばポジティブ・シンキング、プラス思考でいい部分を見つけて、ちょっと気分よくするなんていうのもやっちゃっています。意味づけを考える、さすがに私はもともと意味のついていないことに意味づけしていることが、どんなに我々を苦しめているかということを知っています。また、私はライフスキル脳の練習を繰り返 しやっているので新しい意味をそこで見つけて解決していくなんていう、「意味だるま」の中にどっぷり浸かっていくということは、さすがにやっていない感じがします。まあ、多くの人を見ると、そういうことをやっているでしょう。またプラス思考、ポジティブ・シンキングの書籍は、ほとんどが今言ったようなやり方のいろいろな方法論をうまく私たちに提示してくれている書物が多いと思います。
■ 自分の内側だけに脳を使う
我々は皆、認知で生きているわけですから、認知のやり方に指南書があれば、我々はそれを手に取り、新しい認知 をそこの中で形成します。我々は認知の世界の中で、意味づけの世界の中で自分の気分をよくしていくというやり方をせざるを得ない。ただ、ライフスキルは違います。
外側の意味づけから一切離れて、外側の出来事から離れて、自分の気分をよくするためだけに脳を使います。我々 は自分の心のためだけということに、怖さがあります。これも触れたような気がしますが、一般的に「自分のために」 とか「自分の心のためだけに」と言われるのを、人は恐れます。
しかし、どうですか、皆さん。電車に乗り遅れた時に「チッ」となっていて、「人のためにやれ」と言ったって難しいわけです。そこで意味づけやポジティブ・シンキングで何とか気分をつくりながら、電車に乗ってお年寄りに席を替わるよりも、外側の出来事に関係なく自分の機嫌をとって、電車に乗った時にお年寄りが前に来て、席を気分いいままで替わるほうが、どんなに人生すごく楽しいでしょう。どんなに人生、自分というものを大事にしながらも人のために生きられるかということの証なんじゃないかなと思います。
どうか、この「自分」という内側に向けた脳、自分の心がフローになり、「揺らがず・とらわれず」で機嫌がいいということに、もっともっと価値を重んじませんか。思考を選択するということが陳腐なものではなく、いかにすばらしいもので、いかに人生を好転させることか。いかに我々が今までやってきたやり方ではなく人生の充実をつくるのか。同じ人生を歩み、同じことをやりながら同じ時間を過ごしていても、自分の心の状態を自分で少しでも変えていける。いきなりバラ色の気分にまで持って行くのは難しいかもしれませんが、少なくとも切り替えていくことが、外側のものに依存せずできるようになったら、本当に僕らは同じ人生を歩んでいても、違う見え方、見えるものの景色が変わってくるように思います。
■ 古い脳と新しい脳の両方使う
私のワークショップのトレーニングを受けている人たちが、異口同音に先ほど述べたようにおっしゃってくれるのは、このライフスキルという脳の使い方のすばらしさだと、私は思っています。
この話を聞いたり、ワークショップを聞いたり、本を読むのも、全部皆さん、今までの認知で聞きます。また、認知でしかこうやって働きかけることは難しいので、どうしても「今までの俺は」と考えがちになります。しかしライフスキルという脳をまったく新しい別なものだと思って、とやかく言わず素直にその脳を働かせてみるということに着目していただければ、必ず変化が起こってきたりします。ぜひこの認知という部分の脳と、外側の出来事に関係ないライフスキルという部分との違いをよく理解したうえで磨いてほしいと思います。
認知を決して否定はしていません。認知のおかげで、我々は行動、ソリューションをつくっていくことができます。認知は意味づけをしていきますので、このいい部分、行動をつくっていくいい部分として認知は伸ばす。でも心の部分は意味づけで外的な要因にどうしても支配されがちなので、ライフスキルという別途な部分で心は守っていく。
この2つの脳がバランスよく働いている「バイブレイン」という状態を、やっていって、人生豊かにしてほしいなと思います。そのためには、ライフスキルを磨くべし。これしかありません。
■ 今回の課題
今まで認知の脳でしか生きてきていないので、「これは認知の脳による思考パターンなのだ。外的なものに対して接着しているんだ」「これは外側の出来事に関係なく、自分の心のために思考している部分なのだ」という、この認知とライフスキルを区別化していくという練習をしてください。
しかし自分の区別化はなかなか難しいので、毎日朝からバイトや仕事、さまざまなスポーツの分野、音楽の分野、趣味の分野などで、いろいろな人と接していると思うので、人が会話している中で「この人、認知の会話しかしてないな」とか、「この人はこの部分は認知だったけど、この人はライフスキル的な会話が入ってるな」というのを意識しながら、まわりの人の認知とライフスキルとの区別化をしてください。
特にテレビとかは、ライフスキルの優れている人が時々出てきますので、「ああ、この人、ライフスキルを使ってる」
「でも、この人はポジティブ・シンキングもやってるな」「でも、ポジティブ・シンキングだけじゃなくてライフスキルもやってるな」「ああ、この人ですら、意味づけで解決しようとしているな」「ああ、意味づけ、またしてるな」「でも、この人はまったく外側の出来事に関係なく、ここでいい表情をつくってるのは、これはライフスキルの部分だな」 というのを、テレビとか日常の中で他人を観察することで、その区別を磨いていくというのがもっともいい練習だと思います。
「こいつ、認知しかしてないな」というやつと、「ああ、バランスがいいな」という人とがだんだんわかるようになってくると、超楽しいですね。
また、そこに「認知、意味づけしているからダメなんだ」という意味をつけたらダメですよ。ただ分けて 区別していくのが脳の練習です。
これを区別化されていかないと、永久にライフスキルというものがクローズアップされにくいので、とにかくいい悪いはなく区別してみてください。それが練習法だと思います。
フローとか機嫌というのは、パフォーマンスを上げるための手段という面もありつつ、「人生の財産」と言いましたが、目的みたいなものなのでしょうか。。
目的か手段かはよくわかりませんが、フローという状態が来ると、まず人間の機能が上がります。人間の機能が上がると、パフォーマンスが上がる。結果が出やすくなる。その視点で見るとフローは手段ですね。
でも、「フローでいるということ」そのものが、我々には実は充実性を感じさせたり、満足性を感じさせたり、楽しかったり幸せを感じさせたりするんだとすると、フローそのものが人生の目的であることもあるのかもしれない。だから、手段でもあり、目的でもあり、そこまでフローの価値がわかっている人は、ますますライフスキルを磨きますね。手段のレベルから目的のレベルにまでいくか、もしくは目的だけではなく手段と両方を持っている人は、ますますよくなる。
実際に僕らが24時間生きていて、この瞬間、みんな同じ時間を生きているわけですから。1日24時間。自分の機能が上がるということ、パフォーマンスが上がるということは、結局自分が生きているこの時間の質が上がるんだということからすると、もうそれそのものに価値がありますよね。なので、この両方がフローとしての価値として見えてきたら、もうライフスキルはどんどん身につく方向へ、ライフスキル的に言うと、「好転していく」感じがします。
人の中には「お前、楽しく生きてる場合じゃないだろう、人生は」とか、「人生ってそういうものじゃないんだ。人生というのは苦しいものなんだ。それが人生だ」という人生観を持っている人がいます。そのような人にはこれを強要する気はないです。
それはその人が、そのフローの価値を目的にまでできれば、それはそれでいいと思うんです。でも、「それはそれでいい」だけの話であって、そうならない人にとっても、僕は声を大にして言いたいことは、「目的を何か達成しようと思った時に、プラス思考やポジティブ・シンキングやほかの方法もたぶんあると思いますが、自分の機能を上げずしてパフォーマンスは上がらない」。この事実だけは大きく語りたいんです。
だから、何か目的を達成するために苦しむのもいいです。別にフローじゃなくてもいいですが、少なくともあなたの機能を上げるためにフローな方向へいっていないと、揺らいでとらわれていて機能が上がる人は、人間いないんだから。例外ない法則だから、別に機嫌よく生きろとかいうメッセージをする前に、「あなたは目的を達成したいんだったら、あなたの機能を最大化してパフォーマンスを最大化する時に、本当に揺らいでとらわれていていいんですか。『揺らがず・とらわれず』であなたの機能を上げたほうが、パフォーマンスが上がって結果も出るんじゃないですか」という、こっちの側面からその人には声を大にして、言ってあげたい気はします。
切羽詰まった場面で、笑顔を見せたりしてたら、上司とかに「笑ってる場合か!」みたいに
なるときありますよね。急にその時に「笑顔にならなきゃ」とつくり笑いしてるのは、またポジティブ・フェースなんですよ。ただポジティブに表情をつくっているだけで。
私が言いたいのは、「普段から表情を自分がよくしていると、自分の気分がいいな」ということがトレーニングされて、脳の中にすり込まれていて、だから「自分の気分がよくなるから笑顔をつくってるんですよ」と、自分自身の 中にちゃんと腑に落ちたメカニズムが形成されていることが重要なんですね。急にうまくいかない時に「笑顔にならなきゃ」とつくり笑顔をしている間は、まだポジティブの領域なんです。普段から自分にとってそれがいいんだとい う理由を、ちゃんと体験として見つけていっていることが、このライフスキルの王道です。
問題を次から次へと解決していくのはどうなのだろうか?
それはソリューションで対応していることです。自分の気分が悪くなるようなことを、自分の行動で解決できるものを見つけて、行動で解決していこうということですね。もちろんそれもいいです。
「いい傘をさして気分よく行こう」とか、「雨に濡れにくいような仕事のスケジュールに、今日変えていこう」ということもありますけど、行動でだけソリューションしていくと、逃げる行動も選びたくなる時がありますよね。「じゃあ、濡れないように今日は出かけなくてもいいんじゃない?」とか。こういうことになっちゃうので、それも決して僕も悪いとは思いませんし否定はしませんが、その行動の選択というやり方だけだと、逃げられない行動の時に、「じゃあどうするの?」ということがあるわけですよね。
なので、電車に乗り遅れた時、「じゃあどういう行動なのか」ということですよね。できることをする。本を読む。もちろんそうですけど、「チッ」と思ってる時に、いくら行動でソリューションしたって難しいじゃないですか。じゃあ線路に飛び降りて追いかけて乗る。それもありですわな。でも、行動には限界があるんですよ。だけど思考には限界がないんですよ。どこにいてもライフスキルは、思考、表情、態度、言葉は誰でも選べるから、超便利です。行動をはるかに越えて便利です。だけど行動でソリューションしたくなるのは、まさに認知で生きてきている証拠なんです。認知だと行動のソリューションだからです。