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フローマインド15  イメージする生き方

2022.04.27

イメージする生き方  (辻秀一メソッドより)


■            イメージトレーニングで順調?         

今日のテーマは「イメージする」です。

「イメージする」というと、イメージトレーニングをのようなものを考えますが、それはすごく認知的で結果に紐づいていることが多いので、「かなうか・かなわないか」のほうに気分が持っていかれがちになります。

 

あくまでライフスキルにおけるイメージは気分がよくなる。

すなわちフローになる、機嫌がよくなる。

すなわち、集中、リラックスが高まる。

すなわち、心に余裕ができる。

自分の心の状態を外的な状況から離れて、気分を変えられるというところに主眼が置かれています。

ゴルフコンペで優勝した時のイメージは決して悪くはないですが、リアルな世界に入っていった時に、もう下手したら1番ホールの第一打で崩れ去っちゃう人もいるわけですね。

そこでOB打って、そこでトリプルボギー打って

「いやあ、優勝してるところのイメージ」とかいっても、その人はまず難しいです。

結果のイメージをすることを、決して僕は悪いとは言っていません。
しかし、前回の夢にもつながるんですが、もっと自由なイメージを持つ練習をしてほしいなというのが、このライフスキルの自由なイメージですね。


 

■             ハワイの話でフローになれる人       

すごくいい事例なのですが、ある仕事である会社を訪問しました。
オフィスはビルの20階です。


そこでの仕事が終わって、ちょうどお昼頃ですかね。そのエレベーターに乗って私は1階に降りようと思いました。私は 20階から乗ったんですけれども、そのあと19階でサラリーマンらしき方々が数名乗ってきました。

 

何か午前中の仕事で、すごくトラブルがあったようで、彼らの中には怒っている人、落ちこんでいる人、文句言ってる感じのがいました。これから食事に行こうとしてるんですけど、エレベーターで降りる間、小声でそのみんなのノンフローな雰囲気がバンバン伝わってきた。

「飯でも食って気分を変えようぜ」みたいなことを言いつつも、みんな自分たちのお客さんなのか上司のことに持っていかれている感じが19階から1階までずっと続いていたました。

 

その狭い空間の中で、そのノンフローな空気が僕のところに押しよせそうになっていたので、僕はライフスキル総動員にかかりました。それこそ「好きなこと」を考えたり、「今に生きる」としていたり、「自分の機嫌は自分でとる」と考えていたり、ライフスキルが自動的にいろいろ働いて、僕は自分の心をその人たちに持って行かれないようにしていたし、持って行かれても切り替えていました。

 

そうしたら、15階ぐらいで今度はOLの方々が2人ぐらい乗ってきて、最初はその方々も午前中にちょっといやなことがあった雰囲気がだったんですけど、その彼女たちはもうエレベーターが15階から14階、次の所で人が乗って来るか来ないかの間に、「来年ハワイとかタヒチとか、行きたいよね」みたいな話を始めました。まあ、夢を語っているまではいかないけれども、何かもうハワイに遊びに行っている感じを、その彼女たち2人は超イメージモードに入っていて、「お昼ご飯食べて気分変えようぜ」みたいなことをしなくても、1階に着いた頃は彼女たちの気分は「ハワイな感じ」なわけですよ。

これって何が違うんだろうと。同じように午前中、仕事を全員しました。
いいことだったり、いやなことだったり、みんなありました。


 

■             いやな出来事に持っていかれない   

サラリーマンの方々はそれに持っていかれて、ノンフローのままエレベーターを降りています。


そしてずっと持っていかれたまま、
「食事でもして気分を切り替えよう」と言って、外部のものに頼っています。もし食事に行っても、行こうと思っていた食事のレストランが混んでいたら、またこの人たちはノンフローになります。
そして、食事に行ったレストランの食事が思ったほどおいしくなかったら、また持っていかれるでしょう。


 

彼女たちがすばらしいなと思ったのは、確かにいやなことは起こった。もちろん、午後にそれは対処をしなきゃいけないだろう。

でも、自分の気分はそれに持っていかれないために、何か根拠もなく自由にイメージをしている。「もしこのお客 様の対処をしたら、午後までにはうまくいっていることをイメージすればいいのよ」と言っているのとは違うんです。

午後になったらいろいろ対策して、いろいろな人に協力してもらって、うまくいってる時をイメージして気分を切り替えましょう──。と言ったら、その出来事にまだ持っていかれてるじゃないですか。わかりますか。

彼女たちがすばらしいなと思ったのは、
ハワイやタヒチやタイ的なエステの話だったりとかに切り替えていたことです。


例えばですよ。彼女たちみたいなことをふざけて不真面目だというふうに言いがちな人もいます。
でも彼女たちは今、エレベーターに乗るという行動をしていて、今そのお客さんに向かっているわけではないです。このエレベーターのたった何階から1階までに降りるまでの間の、何分間かの時間は自分のもので、その自分の気分をよくしながらエレベーターに乗るという行動をしているわけですね。

それを、「その人たちのことを気にしない」とか、「なんだよ」と持っていかれたままにいるのか。「いや、それが解決されたらきっといい気分がするので、夜までには解決できるから、その時のことを思い浮かべて、うまくいった時のことをイメージしましょう」とかやっているのではないです。

こういうイメージができたら便利だなという、イメージの仕方を彼女たちはしていたのです。

 

■             ノンフローでいては成果は出ない   

「いやいや、先生。会議中にハワイのイメージをされたら」という認知が邪魔しようとしますよね。

「わかりますけど、じゃあ会議中、『いやだなあ』とか『つらいなあ』とか『しんどいなあ』とか、『このクソオヤジ』とか『なんだよ』とかなったままで会議に出たふりしていて、それで本当にいいんですか」って、逆に問いたいわけですよ。

 

それに持っていかれてノンフローのまま会議に対応している人と、いや、「ちょっとハワイとか超気分いいじゃん」みたいな感じで気分を切り替えながら、いい気分で会議に臨んでいる人と、本当はどっちが優れた社員なのかをもっと考えてもらいたい。

「いや、大変だなあ。難しいなあ。いや、でももしこの問題が解決したらいいふうなことになるかもしれないから、その解決した時のいいイメージをみんなで思い浮かべればいいんだ」ってやっている間は、今、問題のど真ん中にいるということを余計認識させますよね。そのイメージは。わかります?

 

この問題が解決したら、よくなった時の気分をうまく考えて──。
このようなイメージだと、問題が「よくねえぞ」っていうことを、言い聞かせていくから。ますます持っていかれてるでしょう。


そこから離れて、自由なイメージをするというのも、僕らにとっては「あり」なんですよということを、もっとみんなその価値を重んじてもらいたいなと思います。

そのためには、自由にイメージをする練習をいつもしてもらうんですけれども、僕はイメージの練習に3つ使っています。

1つは色のイメージです。色のイメージをする練習を日々してください。

 

■  「色と形」をイメージしてみる   

例えば、月曜日、会社に来る時は赤のイメージ。火曜日は色を決めて黄色。水曜日は青。木曜日は緑。金曜日は黒とか、何か色のイメージを出してみる。

認知的には、「赤といえばトマト」みたいな、そういう言葉の遊びをしないでほしいんですね。
実際に赤で何が頭の中に出てくるかという練習をしてほしいんです。


頭の中に赤が出てくるまで、いろいろ頭の中に思い浮かべてほしいなと思います。

 

もう一つは形。
イメージにとって重要なのは、色と形がすごく大事なので、「丸いというもので何がイメージできるかな」とイメージしてみましょう。丸といえば、ボールですよね。
頭の中にどんなボールが浮かびましたか。


それはテニスボールなんでしょうか。バスケットボールなんでしょうか。サッカーボールなんでしょうか。色はついているでしょうか。動いているボールでしょうか。地球までは見えましたか。どんなことが頭の中に見えていますか。ということをやる練習をしてほしいんですね。

そうすると、何か外的な状況、「なんでここで丸のことを考えなきゃいけないか」という認知が邪魔しようとしますよね。いや、そこには意味はないです。理由はない。

そういうふうに考えていると、外側の出来事から切り離されて、脳に違う脳波が浮かんで、心に何か切り替え、あるいはチャンスが生まれるということです。

 

皆さん、何か急にスーパーフローまでいこうとしすぎます。外側の出来事からちょっと切り替わって、自分の心を自分自身でつくれたという体感が重要なのであって。それの練習としても、このイメージというのは大事です。

三角。三角といえばおにぎり。だめです。
実際におにぎりが頭の中に浮かんでもらいたいです。のりはついていますか、ついていませんか。大きさはどうなんですか。皿の上に乗ってるんですか。1個なんですか。その時の、できればにおい的なものもあったほうが、さらにイメージ力はわきます。


 

まあ、くだらない感じはありますよね。このくだらない感じを、ライフスキルは大事にしています。

「くだらない」とうのは、何をもって僕らはくだらないとしているかというと、外側の出来事と紐づいていないと、「くだらない」と何となくなります。
外側の出来事に紐づいて、そこに理由があって、そこをさせる意味みたいなものがあると、くだるように考えています。認知的ですよね。


でも、心の変化をつくり出した、そんなすばらしいことはないわけで、くだらない思考では全然ありません。

 

■「感情」でイメージしてみる       

次は言葉に伴うイメージなんですけど、なるべく心と結びつけたいので、さまざまな感情がありましたね。Fの感情、   Nの感情。皆さんの「感情のリスト表」がありますので、その感情のリスト表に合わせた感情でイメージしてほしいんです。

例えば「悲しい」。「悲しい」といったら、どんな場面がイメージできるかなとか、どんなことが頭の中に出てくるかなとかいうのをやってほしいんです。

月曜日は悲しい。火曜日はワクワク。水曜日はガッカリ。木曜日はラッキー。金曜日はウザイみたいなものでイメージしてもらいたいんですね。

「ウザイっていうのは、どんなイメージがあるかなあ。ウザイかあ。なんか会社の中で自分もやりたくない仕事を、最も嫌いな上司に期限を決められてやっている時の、あの感じ。チョーウザイ感じだよなあ……」

それでハッピーまでいくとは言わないですよ。すごいご機嫌な気分までいくとは言わないですけど、やや外側の出来事から切り離されます。

 

もちろん、Fの感情でイメージがわいたほうが、もっとフロー化が起こるのはありますが、今ここではイメージの練習なので、別に「ウザイ」というものでのイメージをすることによって、外側の出来事から脳が離れて心に変化をつくれるという、その体感があれば、別に「ウザイ」でもいいです。

 

「ネガティブなことを言っちゃいけないんだとか言われてる気がしました」っていうから、全然いいです。イメージの練習ですから。

ウザイっていうんだって人間は怒るわけで、「ウザイってどんなことか、イメージできますか」というまではイメージの練習ができていれば、それでよし。

色や形や感情でのイメージをするというのを、ぜひ日頃の習慣にしてください。なるべく言葉の遊びに終わらないようにしてほしいと思いますね。

 

あと僕が皆さんとよくやるのは、とにかく思いついたことを自由にしゃべる時間。みんなはだいたいそこに「とらわれ」が起こっています。「これを言ってどうなのか」人に対するとらわれがあったりとか、「それが本当に正しいことなのか」というとらわれがあったりとか。「それが実現可能なのか」というとらわれがあったりとか、「常識的に見ておかしいんじゃないか」というとらわれがあったりすることが多いので、自由にイメージ出しをみんなでしあうというような、そういう感じですね。そこに実現可能かどうかではなくて、何か思いついたことを言う習慣というか、言う時間とか、「これ、ちょっと思いついたんだけど、聞いてくれない?」「それ、本当にかなうの」とかイメージしてもらいたいんですね。

 

■             いつも正解を求められる日本社会   

常にイメージの対極にあるのが「とらわれ感」です。

とらわれというものがすごくあるので、このとらわれからはずれながら、自由にイメージすることの練習をしていかないと、このイメージすることがすごく難しいです。認知が常にこのとらわれの中でイメージさせますから、イメージといってもイメージじゃなくて、根拠に基づいたイメージ化が起こってしまうので、常に何か思いついたことを言う。

 

学校にいるころ「はーい、先生、思いついたんですけど」っていう時間がなくて、「いやいや、今はそういう時間じゃないでしょう」とか、「先生、はい、思いついたんですけど」「いや、それはないなあ」という会話があったりとか。

 

そもそも、まず子どもたちにする質問が「はーい、誰か思ったことある人」とか「なんか感じたことある人」ということよりも、


「はい、わかる人」という質問があまりに多いので、常に「わかるか・わからないか」「正しいか・正しくないか」っていう質問ばかりなんですね。

当てなくてもいいから、「思いついたことのある人」という習慣がないので、このイメージすることがすごく難しいらしんです。とにかく自由に何かから離れて、思い浮かぶ練習をしておくと、僕はとらわれにくいフローな自分が作られます。今まで持っているいろいろな知識とかから常識にとらわれず、いろいろなアイデアまでもが生まれてくることにつながります。

 

イメージすること自体が、まず外的な状況から離れて自分の心を切り替えて、フロー化を起こすということにつながっていく。脳の機能として非常に重要なことです。

 

■             認知がイメージの邪魔をする            

イメージの「イエス・ノー・ゲーム」というのがあります。「まず僕が頭の中に浮かんだものは何だ」っていって、

当てるというよりは、「頭の中にそのイメージをつくっていくための質問を、イエスノーでしてください」というようなゲームをみんなでやります。

そうするとどうなるかというと、ほとんどの人が、やはり当てにいく質問をしようとします。「それは食べられますか、食べられませんか」とか言うんですね。分析的ですね。

 

そしてよくあります。「それは、先生が好きですか」とかって、僕に聞いてくる人がいるんですけど、僕は「はいって言った瞬間、どんなイメージがわくんですか」みたいな。
僕の頭の中にあるものをイメージ化していくという練習よりも、分析的に「これはイエスでこうだ」とかいって、当てにいくために皆さん、下手するとそれをまたノートに書き留めて、「これとこれとでイエスだから整合性がある。食べられなくて、コンビニに売っていて、家の中にあって」とかいって、こうやってみんなで整合性のあること、根拠を求めて答えを出していこうとする。また認知にどんどん持っていかれるんですよ。


 

そうじゃなくて、

頭の中に浮かぶものを自由にイメージしていって、そのイメージを形づくっていくのに必要な質問をしてください。例えば、「それは赤ですか」とか、「それは黄色ですか」とか、色が分かればイメージがやりやすいじゃないですか。

あとは大きさとかの質問ですけど、なかなかみんなそういう質問よりも、当てにいく認知的な質問なんですよね。先ほども言いましたけれども、「それはコンビニに売っていますか」みたいな。すごい分析的じゃないですか。

もうその中で取捨選択していきながら、こうやる脳にみんなあまりに慣れ過ぎちゃっていて。

それは悪くないんですけど。

 

自由に頭の中に思い浮かべる習慣、眼をつぶると色が出たり形が出たり、動きが出たり、臭いがあったり、その肌の感触があったりという、味覚や触覚や臭覚や視覚や聴覚や、いろいろなものの感覚をどんどん忘れている感じがすごくあります。

認知的、認知的、認知的、認知的、認知的。理屈的、理屈的。

理由、意味、理由、意味、理由、意味。

形。

感覚よりも実際、実際、実際みたいな、なんかそういう中にいるので、この感覚は落ちてきているような気がします。なのでよっぽど意識的にイメージの練習を繰り返していないと、イメージが自然にわいてくるということができない感じがします。

 

■             自由な心をつくり自由に思考する   

そうやってとらわれずに、自由にイメージする練習ができていると、認知的に目標を立てたり、計画を立てたり、それこそ認知的な夢を思い描いた時に、常に自由にイメージする習慣があるので、そこにとらわれずにいいイメージが出てくるということが、だんだんできるようになるんです。ところがみんな、自由にするイメージが弱いのに、認知の中で「いいイメージをつくらなきゃ」「いいイメージ。いいイメージ……」とやろうとしていますので、難しい気がします。

とらわれずに、自由に「揺らがず・とらわれず」イメージするという練習をしていると、そこに認知で目標とか計画とか、いわゆる認知的な夢が出てきた時に、おのずと何となくそれをやっている時の自分のイメージとか、それをやり終えた時の自分やまわりのイメージというのは、自由に描けるようになります。

何かうまくいっていく、成功していく、充実していくために、このイメージという練習をみんなはもっと徹底的にやるべきだなと、心から思っています。

 

イメージって本当に見えにくいですいし、なかなか語りにくい部分ですけど、私が「イメージしよう」と言っているのは、

一般的にいう何か結果に紐づいたイメージトレーニングというのとはちょっと違って、自由な心をつくり出すための自由な思考みたいな、そんな感じでしょうかね。

   

やっぱり人間ってもちろん色、形とか感情とかあるんですけど、僕は何か人間って言葉で生きていて、言葉で認知的なものに持っていかれていることがすごく多いように感じます。ちょうど今ここにあるものだとすると時計。

時計という言葉があって、時計という物質があります。これは通常概念として、認知的には当たり前じゃないですか。ここに時計という物質があって、時計と言っている。でも、言葉というのは実際に物質と紐づいていますが、イメージとだって紐づいています。

時計という言葉からどんなものがもっとイメージしていけるかということを、言葉を基点に自由にいろいろな世界に思いを馳せるというか、イメージをつくり出していくというか。時計という言葉だけでどんな物語がつくれるかなとか、時計という言葉で思い出されるものって、一体何なのかなとか。

時計といったら、今なんかだと僕はいろいろある。ヨーロッパの時計台的な大きなものがあったりとか。でもヨーロッパという言葉の中から、時計職人がスイスにいて、目に分厚い虫眼鏡みたいなものをつけながら、時計を手づくりでつくっているおっちゃん……と思っているうちに、ピノキオをつくっているあのゼベットじいちゃなんみたいなものを、思い出されたりという。

言葉から実際に脳が連想していける、言葉の遊びに終わらず、言葉から始まった連想ゲームみたいな、物語みたいなものを連想する練習をしたほうがいいなとすごく思います。

 


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