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フローマインド21  愛してあげる生き方 

2022.04.28

愛してあげる生き方  (辻秀一メソッドより)


 

■             自分の「機能」を高めていく            

自分をフローにするというライフスキルと、さらにまわりもフローにしていく生き方、脳の使い方、「人間ってどうするとフローになり、どうされるとノンフローになるんだ」みたいなコーチ力を学びました。

自分をフローにしていくという作業は、自分を大事にしていこうという作業ですけれど、
自分を大事にしていけないと、まわりを大事にしたり、まわりをフローにしていくというのはなかなか難しいということに、あらためて気づいていただけるのではないかと思います。


この世の中を生きていく中で、自分というものをよりバージョンアップして、自分の機能が高まればすばらしいということをお伝えしたいです。

 

■             OSをバージョンアップする             

あるコンサルタントの会社で、経営者を集めてトレーニングをしている中で、また気づいたというか、「どうやって伝えたらいいんだろう」と思ったので、いくつかの事例を考えて説明しました。自分の本質的な機能を上げるというのは、パソコンで言えばOSをバージョンアップしないと、勝負にならない。その時に使う仕事の直球のソフトはいろいろ皆さんお持ちなわけです。WordとかPowerPointとかExcelとか、当然そういうものが入っていないと勝負にならない。

Wordしか入っていないパソコンで仕事ができる人はいないので、いろいろなソフトをインストールしていきます。新しい便利なソフトがあれば、インストールしていく。もちろん、それがパソコンにとっての本質的に持っている能力です。

 

でも、どんなにソフトをいろいろインストールして、外側の状況に対応していっても、そのパソコンを動かしている本質というか、基になっているものがOSで、それが低いと、ソフトをインストールしていっても動きが悪くなるとか、もしかしたらフリーズするとかいろいろあると思います。

「ソフトは入ってるんだけどね」「このパソコン、動き悪いんだよ」とか「使えないよ」という感じです。

ソフトはとても勝負していくうえで大事です。いろいろなソフトがいろいろ、それこそそれのバージョンも高く入っているほうがいいに決まっています。

だからソフトに興味を持つし、インストールしていくんですけど、ややもするとそれを動かしている本体のOSのバージョンアップを忘れがちです。それは後ろ側でそのパソコンというものをバックアップしているというか、実はそこも考えないといけない部分に相当するんじゃないかなと思っています。

 

これはいつも言う例ですけど、携帯電話。いろいろな機能を持った携帯電を買います。

単純に言えば、まず電話ができなきゃ困るし、写メが撮れるとか、いろいろなアプリがダウンロードできるとか、いろいろあると思います。
でも、電池という言い方もありますし、アンテナという言い方もありますけど、携帯電話は非常にここの部分がシンプルでわかりやすくしていますね。「見える化」されています。


OSのバージョン劣化というのかわかりませんが、バージョン状態は、あまりパソコン上でいつも「見える化」はされていないですね。携帯の場合は、このアンテナというのがとても「見える化」されていて、どんな機能を持っていても、そもそも圏外だとつながりにくいとか、電池が充電されていないと働かないというのが見やすくされています。

皆さん、そこを見て、圏外なのに電話する人はいないので、電話しようと思ったらまずは少なくとも1本にするとか、 3本の状態でいきますね。1本で電話している時って、結構よくぶち切れて途中で切れて困ったりする。つまり、電話としては悪い電話ではないが、その状態だとその持っている力が発揮しにくいという。すごい似ている感じがします。携帯は一番、この圏外がアンテナが「見える化」されているので、私たちはそこに着目。これはすばらしい機能だと思います。

 

■             ノンフローになると気分を変える   

もう一つ、最近思いついた事例が、車の事例です。車がよりよく走るために大事なことは、まずエンジン。

エンジンというのが、我々で言えば「認知」ですね。
認知に優れないと、車は走らない。エンジンがしっかりと動いていないと走らない。当然、いい走りをしてより速い走りをしようと思うと、エンジンをバージョンアップしていく。当たり前です。


ところが、このエンジン。車で言うと副産物、オイルが汚れるという状況があります。

人間には、この「オイルが汚れる」という部分がまさに認知による意味づけが起こり、認知の脳が動けば動くほど、心の状態にノンフローが起こり、揺らぎととらわれが起こっていく状況です。

当然、オイルが汚れて車の場合はガソリンスタンドに行って換えないといけない。

人間は時間がたつと少しはオイルはきれいになるわけですけど、大抵の人はそれを、なるべく早くオイルを換えて自分できれいなオイルにするという機能を持っていないので、ガソリンスタンドに車が行くかのごとく、どうするかというと、飲みに行くとか、たばこを吸うとか、釣りに行くとか、趣味をするとか、たくさん食べに行くとか、寝て気分を変えようとやっているわけですね。

 

■             人間は働きにくい脳を持っている   

アクセルを踏んでエンジン全開で生きる。
またこれが、エンジン全開で生きたら疲れると言いがちですけど、寝るのもエンジン全開でいないから、しっかり寝れていないんじゃないかなと思うわけです。


その時に「寝る」という行動、エンジンを動かすというのは、人間の場合は行動なので、もっと広く言うと「生きる」ということをずっとやっているわけですね。そんなこと言ったら、大変だという話になってしまうわけで。生きている中でいろいろな行動の種類は変わるが、その「生きる」を全開でしていることが重要なわけです。

 

その「生きる」を全開にさせてくれる一つは、その内容を決定してくれる「認知」なわけです。

認知がしっかりしているおかげで、我々は「生きる」を謳歌できるわけだから。

エンジン全開で生きるとオイルがどんどん汚れていくかのごとく、

ノンフローの状態、ストレスがやってくる。

これが人間だから、それを自分の力で早く切り替える仕組みを自分の中に持っておきませんか、と。

脳というのは、そういう自分の中に起きるオイルの汚れを、自分自身で切り替えていく力を持っているんだけども、実はそこの部分は放ったらかしておくと磨かれない。つまり、脳が働きにくいというのが、人間ですよということです。

 

アンテナを圏外のまま生きていても、コーチ力は発揮しにくいというか、コーチ力を持って生きにくい。OSのバージョンが低いまま、フリーズしがちなパソコンでまわりの人にフロー化を起こしていくという生き方はしにくい。オイルが無茶苦茶汚れていて、エンジンを何とかふかしている状況で、まわりの役に立ったり人をフローにしていったりするということは難しい。ということが言いたいので、コーチ力の勉強をすればするほど、

「自分というものにやはりフォーカスしていかなきゃいけないな」
というふうに思うので、あえてこのことをお話ししました。


 

■             在り方をエネルギーの源泉にする   

自分のOS、そしてオイルをきれいにしていく機能、OSをバージョンアップしたりアンテナを切り替えていける機能。そういうものを磨いていくエネルギーの源泉。

このライフスキルを磨いていくエネルギーの源泉は、

自分の在り方、在り方の「たい」。

「どう自分は在りたいんだろうか」「いつでもどこでもどう在りたいんだろうか」ということが、結びついている人が、自分の人生の中にこのライフスキルというものを持って生きているような気がすします。

 

当然、このライフスキルを磨き始めるきっかけは、

「何かの目標を達成したい」とか、「何かの問題を解決したい」

 

ということから始まるんですけれども、そのエネルギーの源泉だけだとやっぱり弱い気がします。

スポーツのチームなんかは、まさに「日本一になりたい」とか、「オリンピックに出たい」とか、勝ちたいということ。

ビジネスですと、「儲けたい」とか「うまくいきたい」とか、「成功したい」とか、こういう会社の中のいろいろな悩みがあって、「解決したい」ですが、

最終的にそういうありたい中からライフスキルをつかんで磨き続けている人は、間違いなく自分が“どう在りたいか”ということをエネルギーの源泉にしながら、その自分の在り方という作業が続くだけです。

そのステップ、その道のりの中にライフスキルを磨いている人は、間違いなく「自分がどう在りたいのか」というような「在り方」とフローでいることがやっぱり結びついています。

 

■             コーチ力は常に相手が「主役」       

さて、3つめのコーチ力は、愛する姿勢、愛してあげる生き方。日本人には、このタイトルはとても重く、「愛する」はすごく感情的な、ある意味、崇高な生き方と紐づいている可能性があります。

「すべての人を愛せよ」とか言われると、
人類愛なのか何なのかというので、ちょっと重い感じがしますが、どんな人も「愛してほしい」というのは根本にはあって、相手がうまくいくことを自分の喜びとする姿勢、生き方。これを愛する姿勢、愛してあげる生き方というふうに考えています相手がうまくいくことを自分の喜びとする意思、姿勢、生き方。

 

これで大事なことは、一つは相手が主役。相手がうまくいくことというのが大事で、もう一つは、相手がうまくいくことの自己犠牲感ではなくて、それが自分の喜びというふうになっているということを感じて生きていけるかどうか。

そこが重要なポイントで、この2つのポイント。そこを考えてもらいたい。相手がうまくいくことを自分の喜びとする生き方です。

 

実は、この生き方をしようとしている、もしくはその意思を持っていることはとても大事です。

なぜかというと、人って自分の目の前にいる人がそのような意思や考えや生き方をしているかどうかを、不思議と感じ取る感性があるからです。

それを持っていると、それだけでその人が何かしてくれるわけではないですが、

その人の生き方みたいなものを感じ取ってフローになります。

 

ということは、自分がその意思を育み、自分がその生き方を磨いていれば、
不思議とそれだけでまわりがそれを感じ取ってフローになってくれる。
そういう仕組みが人間にあるわけです。


 

■             まわりがうまくいくことを喜ぶ       

ところが、下手したら相手を「愛さなきゃ」と言いながら、超ノンフローになっていて、「相手がうまくいくことを自分の喜びとする」という生き方を、目の前にいる人に持てていないわけです。

自分の喜びとしていたら、苦しそうな顔が前にあるはずはないわけです。

なぜか、その人のそういう生き方を我々人間は感じ取りながら生きていくということを根底に、そういう生き方を磨きましょう。というと、

「じゃあ、どうやって磨けばいいんだ」というふうに考えがちなんですけど

相手がうまくいくことを自分の喜びとするという意思を持てばいいわけです。

まずは「考える」ですよね。

相手がうまくいくことを自分の喜びとしようと考えてください。

みんな知ってるけど、考えないですよね。

知っている部分と意識する部分にものすごい開きがあるので、その知っている部分から、今度はこのライフスキルとしてあなたの脳の中に刷り込んでいくために、

「意識しましょう」と考えてください。
相手がうまくいくことを自分の喜びとしようと考えてください。


たぶん、年に1回考えている人よりは、1日100回考えている人のほうが、まわりをフローにしているはずです。それは、その意思自体がエネルギーとなってまわりに伝わるからですよね。なので、その意思を育みましょう。

 

まわりがうまくいくことを自分の喜びとするという意思を育んで、すなわち意識して考えている人の行動は、当然、それに影響を受けています。ただ、私の場合は、「じゃあ何かの行動をやりなさい」と言っているわけではなく、

その行動の前の自分づくり

でも、それだけでも「人というのは感じ取っていきますよ。そこにもっと自信を持ってくださいよ」というメッセージでしょうかね。相手がうまくいくことを自分の喜びとする意思、考え、意識を持ちましょう。ただ考えるところからまず始まりです。

 

■             ただ気づき、考えるだけでいい       

ところが、実際にはその意思から「行動せねば」となるために、その間、そのことは知っているにもかかわらず、その知識を裏切って、自己正当化というノンフローに近い箱に入るということを私たちはします。

相手がうまくいくことを自分の喜びとするということは知っているけれども、その知識を裏切ってしまってノンフローになり、その行動をしないというのも人間です。

この意識を育んでいく間に、その知識を裏切ったということに気づき、知識の裏切りというものが我々を邪魔していきます。

そんなときは、「また考えよう」とやってもらえばいいのです。もしくは、「裏切ったな」と気づいて、そして気づいて考える。考えて気づく。ただそれだけをやってほしいんです。

「それだけでいいんですか」という質問はとても多いですが、ライフスキルはそれだけでいいんです。そういう脳の使い方をライフスキルと呼んでいるからで、そのあとどうするかは皆さんがやることだから、その行動にどのように皆さんが次に出るのかとか、どんな行動をするのかというのは、別途「認知」が考えることです。

「ただ気づき、考える」私はそこをライフスキルと呼んでいるというふうに思っていただきたい。

まあ、そうやって気づき、考えていくことで、「自分を磨く」「自分づくりをしていきましょう」ということですね。そうしているだけで、本当に不思議とまわりにフローな人が増えます。

 

具体的にはどう考えるのかということを、さらにいくと、相手がうまくいくことを自分の喜びとするという、この考えに非常に近い意識は、応援するというやつですね。

社会力の中でも「応援すると考える」というのがありました。応援すると考えるというのは、当然、その「応援する」と考えているだけで自分が気分がよくなる。「頑張れ」と考えているだけで自分が気分がよくなり、誰々をどのように、どうやってという、相手がそこに存在していないところがライフスキルの社会力の存在価値ですよね。

 

応援するという社会力もありますが、
それとは別に今度はコーチ力なので、もう少し踏み込んで考えてください。


相手がうまくいくことを自分の喜びとする意思の表現方法として、「相手をわかってあげる」というのもそうだし、見通してあげる時に、「誰々を時間の幅で見る」とか、「成長を見てあげる」とか、誰々という相手が出がちです。

それはコーチ力ですから当然なんですが、ここも「応援する」というのを社会力の応援とちょっと分けてですね、

「誰々を応援する」ということが考えられたりできるようになってくると、もうまさにこの「愛してあげる」という生き方が実践にまでつながっている感じです。

我々が、誰々を応援するということと混同しながら、それを愛だと思っているのが、「期待する」ですね。「お前のことを期待してるぞ」と、期待しているというのは、実は自分は愛だと思っていますが、相手が主役になっていないことがすごく多いわけです。

 

■             愛があるから期待するのではない   

応援と混同して愛だと思っているのが「期待」ですよね。応援というのはとても大事ですけども、我々はとかく期待を愛、ここで言うテーマの愛だと思い込んでいる人がすごく多いです。

 

「期待してるぞ」「期待してるぞ」「お前のこと、愛してるから期待してるぞ」と上司も親も結構思っています。 でも、この期待というのは、v応援」「愛」だというふうに思われがちですが、冷静に考えてみてください。

ここで愛してあげる姿勢、愛してあげるというのは、相手がうまくいくことを自分の喜びとするということで、「主役が相手」でなきゃいけないんですけど、期待の主役は実は期待しているほう・側です。

 

期待してうまくいくと己がいいから。

期待してうまくいくと、俺にとって有利だからというのがどこかで働いているのが期待です。

ですので、実は「期待してるぞ」というのは、相手が主役になりにくいので、相手に何となくフローが生まれにくいです。

相手もすぐ感じます。「期待してるぞ」というと、1~2回はだませますけど、「あ、でもそれ、結局部長のためなんじゃないの」とか、「結局、あなたがそのほうがいいからじゃないの」というふうに部下も感じるようになります。

人間は、目の前にいる人が、相手がうまくいくことを自分の喜びとするという生き方、意思、姿勢を持っているかどうかを感じ取る力があるというふうになっていますので、この「期待している」というふうな考え方だけで生きていると、まわりの人にフローを増やしていくのが難しくなります。

 

もう一つ、期待ということは何が問題かというと枠組みがある。
「勝手な枠組みを相手に作ること」を期待というふうに呼びます。


「期待してるぞ」

なんか僕の勝手な枠組みが相手の中にあるんですね。勝手な枠組みが人から降ってきたら、誰でも人は苦しくなるし、プレッシャーがかかるしノンフローになります。

簡単に言うと「お父さんはいつも期待してるぞ」「お父さんはいつも期待してるぞ」「お父さんは期待してるからな」

「お父さんは期待してるからな」と言われて育つ子どもと、

「応援してるぞ」「お父さんはどんな時も応援してるぞ」「お父さんは応援してるぞ」「いつも応援してるからな」と育つ子どもでは、全然フローな感じが違うようにイメージできませんか

 

最初の感じは、すごく枠組みがあって、主役がお父さんぽくて子どももしんどい。

しかしもう一つ、この期待で問題なのは、期待しているほう・側が「それを愛だと思い込んでいること」が多いので、勝手な枠組みを人に当てはめ、自分中心的に言っているにもかかわらず、勝手だからその通りにはならない。

でも、その通りにならないけど愛だと思い込んでいるので、その通りにならない相手に腹が立つ。

という、とてつもなく悪い欠点が生じます。人間の怒りの大半は「勝手なる期待から生まれている」とすら言われているぐらいです。

 

■             期待されると、ノンフローになる   

いい例をお話をしてみたいと思います。駅で長く待っているタクシーの運転手さん。

「長く待っていればいい客が来る」と、勝手に期待しています。勝手ですね。長く待ったらいい客が来るなんていうのは保証の限りではないが、勝手に期待します。

人間の認知の脳が生み出す部分ですね、この期待も。

この期待している運転手さんに、「すみません、近くまでなんですけど」と乗った時に、むかつく運転手さんが時々いませんか。それはまさに、この今、期待している運転手さんだった場合ですね。

 

運転手さんは勝手に、「こんなに長く待っているんだったらいい客が来る」と勝手に期待しているところに、「すみません、近くまで」と言った瞬間に、バーンとこちらに意味づけしてきて「なんで俺はこんなに長く待ってるのに、こんな近くまでの客を乗せなきゃいけないわけ?」みたいになります。

不思議にお客として乗った瞬間に、「むかついたな」というのをすぐ気づきませんか。
「あ、この運転手、イヤな運転手だったな」って。
そうすると、近くまで後ろに乗っている間、ずっとタクシーの運転手のことが気になりませんか。


「あ、なんかタクシーの運転手さん、怒ってるんじゃないかな」とか「むかついてそうだな」とか「愛想悪そうだな」とか。こちらもなんか「すいません」とまた謝ってなきゃいけなかったりとか。降りる時に「『お釣り、いいです』って、こういう人に言わなきゃいけないかな」とか。「こんなやつに『お釣り、いいです』って言うのも、またしゃくに障るな」みたいな感じが常に続きます。

 

期待すると、期待される方側もノンフローになるばかりではなく、期待している方側もノンフローになるという、とてつもなくよくない、ありがたくない、うまくない、よろしくない現象が人間の中に起こります。

その一番最初の発端は何でしょうか。タクシーの運転手さんの「期待思考」です。

 

■             応援することでフロー化を起こす   

では一方、相手がうまくいくことを自分の喜びとするという応援のコーチ力、愛してあげるコーチ力のある運転手さんだったら、どうだと思いますか。

「すみません、運転手さん、近くまでなんですけど」「はい、わかりました。あなたがうまくいくように、私ができるだけのことをすることを私の喜びとしてますよ」となっていますから、

どんな時も速くご機嫌に快適に連れて行こうとするので、乗った瞬間にいい運転手さんだなとわかりますね。

もう乗っているこっちもフローだし、同じところに行くにもかかわらず、運転手さん、ノンフローな人とフローな人。同じ所に行くたった短い間でもノンフローなお客さんとフローなお客さん。

その差はいったい何から始まったのか。運転手さんのこのコーチ力期待するというところで脳を使っている人なのか、応援するということで脳を使っているかとの違いになります。

 

当然、最初の運転手さんのタクシーと、あとの運転手さんのタクシー、どっちが試合に勝ちそうか。あとに決まっているわけだし、長くずっと勝負していこうと思ったら、あとの運転手さんのような生き方のほうがずっといいですよね。

だからといって、相手がうまくいくことを自分の喜びとしようと考えているので、自己犠牲感は全然この運転手さんにもない。余計に「釣り、いいです」って言いたくなりませんか。

こんなちょっとした思考の違いから、我々の人生の豊かさというのに変化が生じます。まず相手がうまくいくことを自分の喜びとするという意思、生き方を持とうと考えましょう。意思が形成されてきますから。

 

そして応援。期待より応援というふうに考えましょう。

「どうやってどれぐらい、どんな方法で、なぜ応援しなきゃいけないのか」を考えるのではなく、「相手を応援してあげよう」と考えながら生きているだけで、我々は相手にフロー化を起こすことができます。

なぜなら、相手はそれを感じ取るからです。

 

■             応援というハートの輪を投げる       

期待思考のピストルを打ってくる人なのか、応援というハートの輪を投げてくれる人なのかを、人はすぐに感じてくれますので、あなたがその思考を持つだけで相手のフロー化がだんだん起きます。

「期待してるぞ」「期待してるぞ」

「応援してるよ」「応援してるよ、応援してる」

まわりの人たちをフローにしていこうと思うと、「応援するということの思考」を身につけていくこと。これを繰り返し繰り返し自分のものにしてもらえると、すごくいいなというふうに思います。

 

ですので、気づきましょう、自分が「ああ、これは期待思考なのか、応援思考なのかな」って。

その違いは一体何なのかというと、主役がどっちになってそうなのかなとか、枠組みがどうなっていそうなのかなということを気づいていうこと。

もしかしたら相手の立場になりながら、枠組みのない愛に近い期待というのもあれば、別にそれはそれでいいんです。

言葉の綾で、期待という言葉自体が悪いわけではないので、相手を主役にしているような脳の使い方であれば、期待という言葉は絶対使っちゃいけないわけではありません。

 

「期待はいけないのか」といって家に帰って、息子に「今日からお父さんは期待するのはやめたから」と言うのはやめてください。部下に「『一切、俺はもうお前のこと、期待しないからな』と言え」といっているのとは違います。

いいですか。

彼らは急に途方に暮れますので、「いやいや、期待というのもあるんだけど、応援ということの重要性がわかったので、応援してるぞ」というふうに言ってください。今までと何かが違ってくると思います。

それから、

「喜ばせてあげる」は、相手に対して、相手が喜んだ時に自分が喜ぶというふうなこととは、また違います。

相手がうまくいき、相手が喜ぶことを喜ぶと考えること。

「相手が喜ぶことを喜ばなきゃいけない」というのとは違う。

相手が喜ぶことを自分の喜びとしようと考えること。

相手を喜ばさなきゃいけないということも違うし、「相手が喜ぶことだけが自分の喜びとしなきゃいけない」というのも違います。

相手の喜びを自分の喜びとするという思考のプロセス、思考のパターンも持っておきましょうということですね。

人が喜ぶことを自分の喜びとするということは、自分の人生を実は豊かにしていくことにもつながる。ますますまたまわりにもその影響を及ぼしていくので、相乗効果でその人のまわりにはエネルギーの高い人がますます増えることにもつながります。

 

 


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