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フローマインド24  アクノレッジしてあげる生き方

2022.04.28

アクノレッジしてあげる生き方  (辻秀一メソッドより)


■             考えて生きることは自分作り            

コーチ力、自分をフローにしている生き方こそが、まわりをフローにしていきますが、まわりをフローにしていくために、どんなことをいつも意識したり、心がけていたらいいんだろうか。

人というのは、どのようなふうにされるとフローになり、どのようにされるとノンフローになるのか。

そんなことを皆さんとともに考えているわけですけれども、
実はコーチ力というのは、私が申し上げた「わかってあげる」とか「見通してあげる」とか「応援してあげる」「愛してあげる」とか「楽しませてあげる」とか「見せてあげる」とか、そういうものだけではないですね。


皆さん自身がどうしてもらえると、自分がフローな方向へ傾くのか。どうしてもらえないとノンフローな方向になるのか。皆さん自身が一番ご存じのことで、自分自身がフローになるためにしてほしいことを人にしていこう。というようなことと思っているはずです。

 

ただし、ライフスキルは、そういうことを大事だなとまず考えていくことが、自分自身の心を変え、思考がエネルギーとなって、波動となって相手にもつながり、自分の行動を促し、相手にもそれが感じてもらえる。そんな部分を我々は大事にしている。

これがライフスキルの「売り」「特徴」であるというふうに申し上げているわけですけれども、コーチ力もまさに同じで、わかってあげるにはどうしたらいいのか。確かに聞くことも大事なのですが、「わかってあげる」というふうに考えて生きること。

まずそれが自分作りにもつながります。

思考があらゆるものを形成していきますので、見通してあげる。見通してあげるにはどうしたらいいのか。結果より変化を見ていかなきゃいけない。

結果より変化を見ていくためには、まず見通すことが大事だなと考えている。
そんな思考作りを皆さんとともにやっていっているわけですが……。


 

■             人は誰もがつながりを感じたい       

今回のテーマは、アクノレッジ(acknowledge)。
カタカナばかりの何かわかりにくい感じですが、英語ですね。


 

一般的には「承認する」というような形で訳されていることが多いのでしょうが、私は何となく「承認する」という言葉が好きではありません。「承認する」というと、ちょっと上から目線が感じられるからですね。

いい日本語訳がないので、アクノレッジというふうに解釈していますが、私の意味合いは、相手がつながりを感じられるような生き方をしていること相手が存在価値を感じてもらえるような生き方をしていること。これを広い意味で「アクノレッジな生き方」「アクノレッジなコーチ力」というふうに考えています。

人はどんな人も、「つながりを感じたい」と思って生きているはずです。

人はどんな人も、「存在価値を感じていきたい」と思っているはずです。

ところが、一般的に私たちの日常の中では、このつながりや存在価値を感じにくい。そんな社会に認知の脳が作り出してしまっているのではないかなと思っています。

 

例えば、皆さんが誰も知らないパーティーとか、誰も知らない人ばかりの会合に行った時に、誰かが声をかけてくれるだけでもすごくフローな方向に行ったりすることはないでしょうか。


つながりを遮断されている中で、我々はフローになるのは難しいですし、ちょっとそのつながりを感じただけでも、すごくフロー化が起こる。そんな体験は、どなたもあるはずです。

逆に言うと、つながりを遮断すれば、人はきっとノンフローになる

例えば、みんなで何か飲み会ですとか食事会がある時に、「なんかみんな知っているのに自分だけ知らないなあ」みたいな、そんな時、それは相手が悪気があったわけではないでしょうけれど、偶然そんなことがあっただけでも、何となくつながりが遮断されて、ノンフローになってしまう。そんなことが人間には起こります。

 

ご自身がつながりを感じていることが、非常にフローを作ります。どういうことかというと、病院に仮に入院した時に、多くの人からお見舞いのメールが来たとします。もちろん一件も来ないより、来たほうがつながりは感じますね。

しかし、我々はそのつながりというものを、やはり五感を通して実際に感じたいなという欲求のほうが強いので、 100件のお見舞いメールが来るよりも、1人の実際にお見舞いの方が来られたほうが、あなたのつながり感、あなたのフロー度合いはきっと高くなるんじゃないかなと思います。

 

■  「つながりたい」のは人間の本能                

何を申し上げたいかというと、つながりを感じるようなことを、人は望んでいるという、そういう本能があるぞということ。これはどんな人も、老若男女例外なく存在している人間の欲求だと思います。

例えば、人との交流を避けがちで、一人で山小屋に住んでいる偏屈じいさんも、1年に1回は街に来て、「このおじさんは人との交流を拒んで一人で生きたいんだ」ということを、みんなに知られているというつながりを感じて、この人は生きていたいはずです。まったく誰にも知られず、「一人で生きる」ということのほうを、人が望むことはまずない。

もちろん、人によって、つきあいのいい人、悪い人はいると思いますけれども、どんな人も自分が自分なりの感覚で「つながりを感じていたいな」と思いながら生きている。
それが人間です。


 

ところが、私たちが生きている世界は認知の脳で作られた。最近はインターネットが盛んになって、どちらかというとつながりを感じる体感その他、感情でのつながりがとても希薄になっています。

ネットの社会で感情をメールすることは、なかなか難しいですね。

そんな中で、つながりをどうしても普通に生きていると感じにくくなってしまう。そんなリスクを負いながら、我々は生きている。なので、ノンフローな人が昔よりもたくさん増えているというふうに、私は思います。

 

■             誰もが存在価値を感じていたい       

人間の本能として、つながりを感じたい。しかし、つながりを感じにくくなっている世の中。そんな中に我々は生きながら、このギャップの中で苦しんでノンフローになってしまっているのではないでしょうか。

皆さん、十分つながりを感じながら生きていますか。もしかすると、現代版のつながりを作っていくことの一つの表れが、Facebookだったりするかもしれませんね。
顔だとか、ちゃんと素性もわかった友達と、距離感を超えて何かつながりを感じる。
そんなツールというか方法論が、Facebookなのかもしれません。


 

私はリアルなつながりを非常に大事にしているので、スポーツこそが我々が人間の欲求、つながりを感じていたいなというものをすごく満たしてくれる活動なんじゃないかな、というふうにも思っています。

バーチャルな世界でスポーツをするのは、なかなか難しいですよね。目と目でつながりを感じ取って、そこでパスが生まれたり、そこでシュートが生まれたりしていく。スポーツをやっていた人で言うと、「同じ釜の飯を食う」なんていう言葉がありますけども、まさにつながりを共有して感じて、つながりを作ってきた。そんな思いがなつかしくなるのも、今の現代社会の中でなかなかそれを感じにくくなるからなのかもしれません。

 

■             認知の脳が存在価値を否定する       

もう一つ、私たちは存在価値を感じたい。誰でもが思っています。例えば会社で、「別にお前じゃなくて、誰でもできる仕事じゃん」と言われると、どんな人も傷つきます。

「私じゃなくていいのか」「俺じゃなくていいのか」「俺の存在価値は何なんだ」というふうになるのではないでしょうか。つながりを感じたいとともに、人は自分の存在価値を感じたいという欲求に満たされながら生きています

 

私たちの社会は、これまたなかなか存在価値を作り出すことが難しい世の中にいますね。
そんな中で存在価値を感じたいという欲求だけは、人間はなくしていっていないので、ますますストレスを抱え、ノンフローになる人が増えているような気がします。


学校の先生が早く生徒の名前を覚えて、名前で呼びましょう。これももちろん存在価値をその人に作り出すための一つの方法論ですね。みんなに名前で指しているのに「はい、あなた」とか「はい、君」とか言われると、「俺だけなんか名前覚えられてないんじゃないかな」って、ノンフローになった経験はないでしょうかね。

 

例えば、エレベーターに乗って会社で偶然にも社長と同じエレベーターに乗り合わせた時に、社長がいきなり名前を呼んできたら、すごく存在価値が高まりませんか。


「何何君、元気かね」みたいな感じです。

 

「え、社長、俺の名前知ってたのか」みたいな感じになるかもしれませんね、大きな会社だと。

それだけで存在価値が作られる。人間って、極めて単純だったりします。

さらに、「ああ、君がやっているああいう仕事、どうなの。うまくいってるのかね」と言われたら、「社長は俺がやっている仕事とかプロジェクトまでご存じなんだ」みたいな感じで、存在価値が上がるかもしれません。単純ですね。

 

例えば、今日自分の誕生日だった時に、「別にもう今さら誕生日なんて祝う気はないし、まあそんな気にしない」と言いつつ、誰かに「あっ、今日誕生日で、おめでとう」と言われただけで存在価値が高まることはないですか。

逆に、「そんなのどうでもいい」と思いつつ、みんなが誕生日のことをまったく知らなかったり、気にしていなかったりすると、ノンフローになったりする。

何が申し上げたいかというと、人間はつながりを感じたいというのと同じように、存在価値を感じていたい。しかし、認知の世界の中にあって、容易に我々は存在価値を失うリスクがあります。

認知の脳が作り出す「優劣思考」などは、我々の存在価値を常に危険にさらしています。私たちはたくさんの人がいると、それを分類化します。

 

■             優劣をつけるというカテゴライズ   

例えば、バスケットボールを好きな人たちが集まるチームが、何チームかあったとします
そうすると、「じゃあ、グループに分けよう」となります。


20チームあったら全員で試合できないので、「じゃあ5チームずつ4つの班に分けよう」となります。そうなると今度は、そこの中で勝ち負けが生まれたり、そこの中で強い人たち、弱い人たちということが当然スポーツだから起こります。

次第に同じような強い人たち同士が集まって試合をやる。
となって生まれるのが、一部、二部、三部、四部などのスポーツ界でよく言われるリーグの上位から下位リーグというようなことになります。


 

便宜上、私たちはグループに分け、上位、下位と言いますが、
もう上位・下位というそこに評価があり、優劣があり、意味づけが起こっているので、
便宜上分かれているだけですが、下部リーグに行くと、

「劣」のレッテルを貼られるというリスクを負います。

「昔、バスケットやってたんだけど」「何部でやってたの、大学時代」「いやいやいやいや、たいしたことないんですけど、5部とかでやってたんです」「こいつ、5部でやってたのか」「まあバスケは好きだけど、まあそこそこなのね」と、認知の脳がイヤでも働いてしまいます。

 

この社会の中にいる限り、常に私たちは、カテゴライズされては優劣がつくように生まれています。そうすると、あるトピックでは、もしかしたら「優」がつく時もあります。

例えば、勉強の話をしている時は勉強で「優」がつくやつもいる。
しかし、スポーツになった途端に、「劣」というレッテルになる可能性もある。


スポーツの話をしている時は「優」だけれども、勉強の話をし始めた瞬間に「劣」のレッテルになる可能性がある。

「劣」のレッテルが無意識に貼られたことによって、我々はノンフローになるリスクを負っています。すべてのことに「優」のレッテルを貼り続けられる人などいないからですね。

 

■             認知の脳が優劣のレッテルを貼る   

今、数学の話をしている時は「優」のレッテルだったのが、今度は哲学の話をし始めたら「劣」のレッテルになるということもあるし、経済の話をしている時は「優」のレッテルだったのが、文学の話になった途端、「劣」のレッテルになることもある。

将棋の話をしている時は「優」になっているけれども、例えば碁の話になると何も知らないので、「劣」のレッテルになることもある。

会社なんていうのも、上司と部下とか、上とか下とかいうレッテルが、もうそこに存在していますね。上級生と下級生。別に年齢が上で年齢がまだ未熟というだけなのですが、今まで勉強してきたように認知の脳が意味をづけして、その意味づけに優劣がつく。

そんなリスクを我々はとてつもなく受ける世の中に生きているので、存在価値を失いやすい。

でも、人は自分の存在価値を作りたい。そんな欲求がある。

また、このジレンマ、このギャップに、我々はノンフローになるリスクをたくさん持っています。

 

人はつながりや存在価値を求めている。つながりや存在価値を感じたい。人はどんな人も、すべての人がいつでもどこでもそういう欲求を持っている。

しかし、この世の中に生きている限り、人は認知の脳があり、
そして社会の文明的な発達により、つながりを感じにくくなるというリスクも同時に負っているということを、まずよくわかって、その中で心を大事にしていくというフローの価値を知り、自分自身もフローを作ってライフスキルを磨きながら生きている中で、さらにまわりの人もそういうリスクを負っている中で、まわりの人がフローになっていけるように、このつながりと存在価値を少しでもまわりの人たちに感じていただけるような生き方をしようと考えてもらいたいなと思います。


 

それって一体何なんだろう。どんな生き方、どんな姿勢をしていると、つながりをまわりの人に感じてもらえるのか。存在価値を感じてもらえるのか。というようなことを、ちょっと皆さん、考えてもらいたいなと思います。

 

■             挨拶で相手にフロー化を起こす       

私は、つながりや存在価値を感じてもらう一番の基本は、「挨拶すること」だと思います。相手につながりを感じさせ、相手の存在価値を作り出すから挨拶をするわけですし、

挨拶をすることによってつながりと存在価値が相手に中に生まれる。

挨拶って、まあ小さなアクションだと思うんですね。

挨拶は体育会でもそうですし、礼儀上は後輩が先輩にまず挨拶をする。これは認知的には正しいことですね。

 

このコーチ力的には、相手をフローにするために、相手につながりと存在を感じさせるということのために、コーチ力のある人が挨拶をするということを考えています。

「礼儀上は、お前が挨拶して当たり前だろう」というのではなくて、挨拶をするという生き方を、コーチ力のある自分自身を磨くためにもしていっていただけることがいいんじゃないかなと思います。皆さん、いかがでしょうかね。

 

挨拶をするだけで、人というのは存在価値やつながりを感じられるので、挨拶のない殺伐とした組織、チーム、当然みんなアクノレッジされにくいので、フロー化が起こりにくいですね。極めて単純な構造です。

昨今は会社なんかに行くと、隣の人にですら、メールで挨拶をするという時代らしいですけれども、なかなかそれではつながりや存在価値が出にくいんじゃないかなと、私は個人的には思います。

 

■             思考で相手にフロー化を起こす       

もう一つ、つながりや存在価値を作り出すのに、相手のことを思うことをとても大事にしています。思う。すなわち「思考」はエネルギーで波動なので、思うだけでもどこかで相手につながりや存在価値の芽となるものが伝わっていく、感じていく。そのように思っています。

これは決して怪しい話ではなくて、思考の科学が今、研究されている中で、思うこと、思考すること、その人について考えることが、その人に何かしら届いていく、感じてもらっていけるというのは、もう非科学的な世界ではなく科学の世界でも証明されていること、証明され始めていることの一つだと思いますので、私はいつも思うことをとても大事にしています。

 

体は一つしかないので、ここにしか今はいれませんけれども、思考は暇な時間がたくさんあります。その間にいかに多くの人のことを思うか、考えるか、思考するかということは、自然にまわりの人とのつながりや存在価値を作ろうとする自分作りになるのだと、私は思っているので、いつもアドレス帳のようなものを頭の中でグルグル回して、それは50音順の場合もあるでしょう。

例えばスポーツ関係とか、家族とか仕事関係とか、仕事の中でもこういう関係とか、こういう関係とか、いろいろなアドレス帳のような、まあジュークボックスで言うと、レコードごとに名前が書いてあって、レコードを選んでは、そこに書いてある人たちの名前が頭の中に出てきて、その人のことを思うという練習。アクノレッジする、すなわち、つながりと存在価値を作り出していく練習として、「思う」ということを私はやっています。

 

私の人間力ワークショップの1dayコースとかでこのコーチ力をやるんですけれども、この「思う」という私のこのコーチ力の磨き方を参考にして、それ以来、思う習慣をつけているという受講生もいます。ぜひ、思う習慣をたくさんつけてください。

実際に会ったり、実際にその人に何かできたりすることは少ないですけど、思うだけで何か今までと違う自分ができてきて、不思議と今までよりもつながりや存在感というのがまわりとでき始めるという体験が起こるはずです。

思うこと。挨拶の次に、私がこのアクノレッジを磨くために大事にしていることです。

 

■             感謝で相手にフロー化を起こす       

どんな人もつながりと存在価値を感じるのに一番いいのは、感謝されることなので、どんな時も「ありがとう」と感謝していくことによって、つながりと存在価値を作り出すことができます。

自分自身がフローになるための社会力というライフスキルの中に、与える思考というのがあったと思います。その

 

中の一つに、「ありがたいなと考える」というのがあったと思いますが、

これは誰々に対して「ありがたいな」ではなくて、ただ「ありがたいな」と考えると、その思考のメカニズムで自分自身にフロー化が起こる。

だから、「『ありがたいな』と、とにかく自分自身のために考えましょう」ということを言っていましたが、

コーチ力はあくまで相手・対象が出てきますので、相手をフローにするためにも「ありがとう」とか「サンキュー」とか、「いつもこういうことで感謝してるよ」ということを考えるところから始まって、相手にまで伝えることができれば、

さらにつながりと存在価値を感じて、フローになる人が増えるはずです。

まず、「ただありがたいな」というのは社会力です。「何何でありがとう」と考えるようにするところから始まって、そして実際にそれを伝えていけるようになれば、コーチ力が育まれている。そんな人間力、ライフスキルだというふうに、ちょっと区別して考えてもらいたいと思います。

 

もちろん、脳の中ですから、そんなに杓子定規に分けることはできませんけれども、「ありがたいな」と自分のために考えるのと、誰々に「こうこう、こうこうでありがたいな」と、認知の脳が当然働きます。

でもそこで、見返りを期待するわけでもなく、

相手の心をフローにするアクノレッジとして、いつも「何何でありがとう」と言っているほうが、相手のフロー化が進むので、実際に相手からそれによって何かまた期待したり、何かの見返りを求めようとしているのではなくて、単純に相手のフロー化を起こすために相手に感謝する

「ありがたいな」と考えて伝えていくということをできるようになると、フローな人があなたのまわりにも必ず増えるはずです。

 

■             観察で相手にフロー化を起こす       

私が大事にしているアクノレッジの磨き方。最後ですけども、観察する。人間の本能として「誰かに見ていてもらいたい」というのがありますね。

小さい頃、皆さん、子供の頃って何をやっていても、「お母さんに見ていてもらいたい」みたいなことがあります。別にお母さんが必ずしもほめるわけでもないですが、見ていてもらいたい本能があります。それはなぜかというと、つながりと存在価値を感じたいからですね。

 

見ててあげること。見ててあげることを、私は何と呼んでいるかというと、

「観察する力がある」というようなことで表現しています。人は観察されたい。

観察することは、必ずしもほめることではありません
「何々なのですごいね」とほめるのは観察ではなく、無理やりそこに意味づけを起こしてプラスな意味をつけてほめようとしている感じがあります。観察というのは、そこに評価がなく、「ありのままのこちら側が見たものを伝える」ということですね。


 

例えば、何か落ちこんでいたとしましょう。ただ「今日、落ちこんでるね」と気づかれて観察してもらっただけで、皆さん、「そうなんだよ。今日ちょっと落ちこんでるんだよ」って、もう元気になったりしませんか。


特別何かそこからいろいろなものをしてもらったんじゃなくて、ただ自分が「落ちこんでるな」ということを見つけてもらって、気づいてもらって、観察してもらって伝えられると、
「そうなんだよ。今日ちょっと落ちこんでるんだよね」と言って、もう元気になったりします


人間って、そんなものだったりしますね。

なので、観察する、見てあげる、気づいてあげることを意識的にやっていくことが重要です。

 

■             事実を見つけて、相手に伝える       

例えば、奥様とか彼女が髪の毛を切りました。
「髪の毛切って似合うね」と、もしかしたら皆さん、言いにくいかもしれませんよね。
ほめなきゃいけないから。


もちろんそれができるんだったらそれもありですけれども、私が今言っているのは、「ああ、髪の毛切ったんだ」って気づいたことを、ただシンプルにその事実をちゃんと伝えて、
気づいて見つけて伝えていけること。これを「観察」というふうに呼んでいます。


 

これもワークショップの中で受講生たちに順番に前に出てきてもらって、「ああ、今日は青いネクタイしてますね」「ボタンダウンのワイシャツ着てますね」「今日はジーンズですね」「今日はスカートですね「時計を左手にしてますね「今日はネクタイしてませんね」「笑顔ですね」「ヒゲが伸びてますね」「そのネクタイ、初めてですね」「床屋へ行きましたね」「いつもよりちょっと笑顔ですね」など、観察する練習をお互いにやると、人間はつながりと存在価値をすごく感じてアクノレッジされた感じになって、ほとんどの人がフローの方向にいく。そんなワークをしたりもします。

 

日常の生活の中で、皆さんぜひこの観察する。
ただシンプルにその事実を伝えていく習慣をつけてみてほしいなと思います。スポーツ界でも、優秀なコーチの方々は、ほとんどこのアクノレッジのコーチ力を無意識のうちにやられている方々が、すごく多いんじゃないかと思います。


無理やりほめるという姿勢はないですが、観察して伝える。

陸上のQちゃんとかを育てた小出さんとか、あとはバレーボールの女子を再生させた柳本監督とか、あとはサッカーの「なでしこジャパン」の佐々木監督とか、とても大事にしています。

 

この観察する、伝える、相手に存在とつながりを感じさせる。
女子チームの指導者のことばかりが浮かびましたけれども、女性のほうがその要求が高いのかもしれませんが、男も同じようにつながりを感じたいでしょうし、存在価値を感じたいのは男も女も変わらないはずなので、これができる人はまわりをフローにしていけるというふうになります。


とかくほめようとして、皆さん苦しくなったりしますが、ほめる必要はありません

存在価値を感じさせ、つながりを感じさせてあげれば、人はフローな方向へ行くので、無理やりいい意味づけをつける必要などありません。

ただ単純に事実を見つけ、そして伝える。そんな練習をしていただけるとありがたいと思います。

 

■             すべてはアクノレッジにつながる   

今日から挨拶の意識をしましょう。挨拶の数を増やしましょう。
今日から思うということを、ちょっと習慣づけていきましょう。


ちょっと脳が暇になったら、あなた自身のアドレス帳、ジュークボックスのレコードを回してみましょう。多くの人たちをたくさん思えるようになるはずです。

感謝の言葉を伝えましょう。コーチ力ですから、相手に伝わっていくことが大事なので。

相手につながりと存在価値を感じてほしいなと考えるあなたを作ってもらいたいと思います。

そして、観察して、観察したことを伝えていきましょう。
そんなことを脳の習慣とすると、気づけばあなたのまわりにフローな人、パフォーマンスを上げていく人が増えていくこと間違いなしだと思います。


 

今までのコーチ力=「わかってあげる」のも、
アクノレッジにもちろんつながりますし、

「見通してあげる」のもアクノレッジにつながるし、

「愛してあげる」「応援してあげる」というのは、当然アクノレッジにもつながりますし、

「見せてあげる」とか「楽しませてあげる」とか、すべてのコーチ力はこのアクノレッジの基礎でもあるかもしれません。

さまざまなコーチ力、そしてそのベースになる社会力が相まって、脳の中でその思考の習慣がある。すなわちシナプスが形成されている。

その知識を持っていて、いつも意識していて、そこに起こる自分やまわりの心の変化を感じ取り、そしてそれを言葉に出しながら話す、シェアしていくことで、脳の中にその機能を形成していくことを日々している人、そんな生き方をしている人が徐々に社会力やコーチ力という人間力、心の豊かさを作る人間力を育んでいくことになるのではないかと思います。

 

いきなり行動を完璧にしようというと難しいかもしれませんが、そういうことをちょっとずつ意識していくだけで、心の感じ方が変わってくるはずです。
ぜひ意識して、自分やまわりの心を少しでもフローにしていく人、そんな人がこの世の中に増えてくることを願っています。


もちろん、あなたも、今すぐ、今日この時から、このアクノレッジのコーチ力、さらに意識してもらいたいなと思います。ありがとうございました。

 

 


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