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フローマインド4    認知から解放する生き方

2021.04.27

認知から解放する生き方  (辻秀一メソッドより)


 

【 五感でとらえた情報が脳に送り込まれる】

私たちの心に「揺らぎ・とらわれ」をつくり出す「認知」という脳の機能についてと、 その「認知」という脳の機能から解放されて、「揺らがず・とらわれず」というフローをつくり出していくことについてのお話です。

 

「外部の状況=『環境』や『経験』や『他人』に対して、
    脳がその状況を把握してそこに意味づけしていく」


ということが人間の特徴だということですが、(フローマインドNo Excuseの生き方参照)それをもっと掘り下げていきます。

 

私たちは、外側に起こるすべての情報を、五感で取り入れます。
情報を見る、聞く、触るとかの感覚器でとらえて脳に送り込みます。この脳の役割は、外側のその情報を判断して、「何をするか」を考えるために認知という機能があります。他の動物にも、もともと備わっています。例えばカモシカがライオンを認知したら、その情報は「危険だ」として逃げるのです。生命維持のために何をしたらいいのかということで、動物はこの認知の脳を使っているわけですが、人間は動物よりもはるかに、この認知の脳が優れていて、いろいろな行動をつくりだしました。外側の状況を分析・判断しながら、何をしたらいいのかをどんどん考え、新しい物をつくりだして便利な社会で生きることができるようになったわけです。


 

【雨が降ると、ブルーな気分になってしまう理由】

この認知という機能は外側で起きる出来事に、勝手に自分固有の意味づけをしていくようになります。例えば、雨を見たら認知します。この雨という情報を認知したら、まず何をすればいいかは「傘を差す」です。この認知の脳が優れていないと、ずぶ濡れになってしまいます。「雨を見たら、傘を差す」です。

ところが、朝から雨だったりすると、「いやだなあ」とか、「ブルーだなあ」とか「残念だなあ」とかになったりしませんか。

どうしてそういう雨に対するとらわれの心が起こるのかというと、認知の脳は、「雨だと濡れて面倒臭い」とか、「雨だと気分が優れない」という過去の経験に基づいた固有の意味づけを持っているからなのです。


雨を見たら、本当はただ傘を差すだけでいいのに、ほとんどの人は「いやだなあ」という情報でノンフローのまま、傘を差しているわけです。これが人間の脳の仕組みです。
こういうことを私たちはたくさんやっているのです。


 

本来、雨には「ブルーになる」という意味がついていません。「いやだ」という物質が降っているわけでもありません。それは全部、その人が後からつけた後づけの意味づけに過ぎないわけです。
ところが人は「自分が意味をつけた」ことに気づかないので、雨になってブルーだなということが、ちょっとよくないなと分かったら、何とかまた雨にいい意味をつけようとしたりします。「コップ1杯の水が飲めるのも雨のおかげなんだ」「雨はありがたいことなんだ」と、無理矢理ポジティブな意味づけをして何とかやっていこうとするわけですが、でも実はそう考えている間は、まだ雨にとらわれているわけです。


 

つまり、認知で解決しようとしている限りは、また新しい意味を無理矢理つけなきゃいけないわけです。例えば 私は阪神タイガースファンなので、阪神が負けると「がっかり」という意味私はつけます。でも、実は阪神は昨日、 どこかのチームに何対何という点数で負けただけなんです。
それに私は「がっかり」という意味をつけて、朝から何となく落ちこんでしまうことがあります。


それは私が勝手につくった意味で、さらには阪神が負けたこともポジティブに考えて、次の試合につながることだから、この負けもよかったんだと、自分の心を新しい意味づけでクリアしようとします。
でも、そういう脳の使い方をしている間は、まだその出来事に支配されているわけです。
阪神が負けたことも良かったことなんだと考えながら、自分の気持ちをよくしている間は、まだ阪神の負けに私はとらわれて、阪神の負けに揺らがされているわけですね。


 

【あなたはなぜあの人が「嫌い」なのか】

まず自分が意味づけしていることに気づくことが重要です。本来は意味がついていないものに対して、私たちは自分が意味づけしているのです。例えば、「あの人は嫌いだなあ」「苦手だなあ」とか、そもそも「苦手」という意味のついている人なんかいないし、「嫌い」という意味のついている人はいません。

 

医学的に見ても、人間は60兆個の細胞でただできているだけで、「嫌い」という細胞はありません。嫌いという人は、嫌いという細胞でできているわけではなく、ただあなたにとってはそれが嫌いとか苦手という意味をつけているだけです。

その人から解放される時に、「この人も好きにならなきゃ」「この人のいい所も見なきゃ」というやり方をやっているうちは、その人にまだ支配されています


そうじゃなくて、「ああ、私は今、苦手とか嫌いというこのノンフローな感情になっているのは、私の認知と意味づけがつくりだしたことで、でも嫌いとか苦手なんていう意味のついている人はいないんだ。意味なんかついてないし」。

 

世の中、「意味がない」と言いたいのわけではないです。
人間は認知で動いていて、すべて意味で動いています。しかし、もともとは意味がついていないんだということを知っているかどうかが、フローな人生を歩めるかどうかの鍵です。私たちは認知の脳がある限り、朝から晩まで意味づけはしていきます。
しかし、もともと意味がついていないものに意味づけをしているのが人間だということをよく理解してほしいなと思います。


 

例えば、自分の隣にとても苦手な人がいて、ワークショップやセミナーを受けていたとしますね。せっかく自分が興味を持ってお金を払った楽しいワークショップに、俺の苦手なやつが来て、俺の隣に座ってる。「ウザイなあ」とか「なんでこいつが来るんだ」とか、「いやだなあ」とか、まさにノンフローな状態がたぶん起こるんじゃないでしょうか。

そして私が何となく1日ノンフローだったあなたに気づいて「今日は何かイライラしていて、気分悪そうな感じでしたがどうしてですか?」と聞いたら、あなたは「いや、私の苦手で、大嫌いなやつがいたから今日はなんか気分が悪いんです」と言いますね。

 

でも、そのワークショップに参加していたほかの人は、どんな気分だったでしょうか。ほかの人たちは「別に」という感じじゃないでしょうか。

ワークショップをやっている私は、その人がいるのに楽しいワークショップを過ごすことができました。あなたは、その人がいたから気分が悪い。ほかの人は、その人がいるのに「別に」。
私は、その人がいるのに楽しい。


さあ、「気分が悪い」とか「むかつく」をつくったのは誰でしょうか。その人ですか。あなたですか。明らかにあなたですね。

 

もし、その人が本当に「気分が悪い」という物質でできた人間だったら、私も気分が悪いはずです。一緒に参加していたほかの人も、その人が入ってきた瞬間に気分が悪いはずです。
でも、気分が悪くなったのはあなただけです。それはなぜかというと、あなたがその人に対して「嫌い」とか「苦手」という意味づけを持っているからです。


 

【とらわれから心を解き放す魔法の言葉】

辻メソッドトレーニングは、「そういう意味づけを持つな」というトレーニングではありません。それは自分がつくりだしたのだ」と気づくこと。これを言っています。

そして、「もともと『嫌い』とか『苦手』なんていう意味はこの人についていないし」と自分の中に言い聞かせた瞬間に、その人が認知の脳の意味づけを通して、心の中に「揺らぎととらわれ」として入ってくることが極めて減ります。
遠のく、という感じでしょうか。離れてくれます。阪神タイガースが負けたら、「残念」という意味がつきますが、「阪神タイガースがどこかに何対何で負けたことには意味ついてないし」とやった瞬間、阪神タイガースは僕から離れてくれます。


そうすると、ほかのさまざまなライフスキルがすごく働きやすくなって、自分の心をフローな方向に持って行くというチャンスが、すごくできるんですね。そのことができない間は、阪神タイガースや雨や、その苦手な人に全部心をがっちりつかまれています。
そのがっちりつかまれた張本人は何かというと、あなたの「認知による意味づけ」です。ですから、意味づけに気づいて「意味がついてないし」というこの魔法の言葉を使わない限り、あなたの心は常に外側の出来事にがっちり支配されてしまうでしょう。


 

【電車に乗り遅れただけでノンフローになる?】

もう少しほかの例を言ってみましょう。急いでいる時に、電車にギリギリ乗り遅れたとします。階段を駆け上がってホームに上がって車掌と目が合ったんだけど、残念ながら目の前でドアが閉まってしまいました。どんな気分になりますか。「がっかり」とか「ついてねえな」とか「どうしよう」とか、そんな感じじゃないですか。これはまさにノンフローです。

その間、次の電車が来るまで、あなたはノンフローですから、当然心の法則からいうと、あなたのパフォーマンスはその間、エクセレンスな方向にはいかないですね。何か読んでいても、おそらく頭に入らないでしょうし。

そして、電車が来ました。乗りました。席が空いていました。座りました。
そういう時って、目の前にお年寄りの方が来たとしてもあなたは席を替わることができない。パフォーマンスが落ちますね。そしてあなたは「ついていないな」とか「がっかり」とかいう気分を、その乗り遅れた電車のせいにするわけです。もしくは、車掌のせいにするわけです。それはすべて、あなたのそういう意味づけを認知の脳でつくったからです。


 

冷静に考えてみてください。「ついてない」という電車に乗り遅れたわけじゃないですよね。山手線はいつもただ5分ごとに来て、それをあなたがたまたまホームに着いて乗り遅れた時だけ、「ついてない」とかやりますが、別に「ついてない」という電車が行っちゃったわけではない。いつもただ山手線は、来て行っているだけです。 そこで自分の意味づけに気づけないと、山手線から心が解放されないわけです。

 

ところがほとんどの人は、ポジティブシンキングとか、意味づけで解放しようとします。
でも、それだと解放できないんです。もしこの電車に乗っていたら、何か事故にでも遭ったかもしれないんだ、この電車に乗り遅れたこともよかったんだと無理矢理考えようとしています。その間、電車にまだ支配されているわけです。


 

私だったら、こうです。電車に乗り遅れている私も意味がつきます。「チッ」「ついてねえな」と。でも、その瞬間に、その自分のノンフローな感情に気づいて、そしてこのノンフローな感情は自分のパフォーマンスを決して上げないということをよく分かっているので、自分が認知、意味づけして、「ああ、俺が『チッ』ってつけたんだな。そもそもついてないとか、そもそもアンラッキーなんていう電車はなくて、意味などついてないよなあ」とやった瞬間に、 その乗り遅れた電車は僕の心の中から薄れます。それが心の解放をつくるわけです。

 

【認知とは脳にペタンコをつけること】

私の自分の言葉は「意味ついてないし」です。
意味がついてないものに意味をつけてしまって苦しんでいる自分に気づく練習をします。そのうちに、無意味なところで意味がつかなくなります。


意味をつけたければ、いつまでも意味をつけていていいんです。阪神タイガースが負けて一日ムカムカしていたければ、別にそれはそれでいいんです。でも大抵の人は、阪神が次に勝つまで、気分よくなれないんじゃないでしょうか。そうすると阪神のせいにして、「なんかいいことないかなあ」と、要するに「Excuse」=言い訳、他責が始まるわけです。

 

Excuseの源は、意味づけだったんですね。なので、そこに気づいて「意味ついてないし」という自分の言葉によってそこから解放されていくというのが私のやり方です。

 

どんなことにも僕らは意味づけをしていくのですが、このことを僕は「意味をつける」ということで、「ペタンコ」と呼んでいますね。ペタンコ、ペタンコ、脳があらゆるものに意味づけをしていきます。このペタンコに気づきましょう。「ペタンコをしないようにしよう」じゃないです。ペタンコに気づく。そして、ペタンコした自分に気づいたあと、

「意味ついてないし」とやります。

 

イメージしてみてください。

外側から外界のものがやってきます。好むと好まざるとで、『環境』、『経験』、『他人』がやってきます。その情報を五感を通して認知の脳で、ペタンと捕まえる感じです。
脳は意味づけによって、その外側の媒体から起こっているものに意味づけして、ペタンとすると、その出来事に心がいきなり「揺らぎととらわれ」という形で支配されます。この状態だと、もう心は外側の出来事にがっちり握られちゃっているので、どんなふうに考えたとしても、フロー化を起こすというのは難しいです。


 

なんでもポジティブシンキングをやっている人はいますけども、私は限界があると思っています。

そこでどうするかというと、ペタンコした自分に気づくことによって、少しはがれていきます。
感覚的に言うとはがされます。脳が外側の出来事からはがされます。外側の出来事からはがされると、心の外側の出来事から握られていたのから、少し離れて、心の中にスペースができる感じでしょうか。つまり、外側の出来事から支配されていたものから離れて心の中に自由な感じが生まれてくるのです。


 

【 気づくことがライフスキルの第一歩】

さまざまなライフスキルという脳の使い方ができれば、一気に自分の心をフローな方向に持っていくことができます。逆に言うと、さまざまなライフスキルがあったとしても、この意味づけ、ペタンコに気づいて「意味ついてないし」ということがしっかりとスキル化されていないと、がっちり外側の出来事に握られたまま、無理矢理ライフスキルを使って心をフロー化しようとすることになるので効果が薄れます。

私がトレーニングしている選手、ビジネスマン、OL、経営者、コンサルタント、あらゆる人たち、音楽家も含めて、この意味づけペタンコに気づき、「意味ついてないし」という自分の言葉を練習することを、もっとも強く訴えています。

朝から晩まで「意味がついていないもの」に意味づけしているということに気づいてください。

 

雨の例で、意味が何もないからといって、雨が降っているのに「意味ないし」とか言って、ずぶ濡れになるということを言ってるんじゃないんですね。雨が降っているということは認知して、「傘は差しましょう」です。

でも、「『ブルーになる』とか『がっかり』とか『いやだなあ』という意味はついてない」と言って、心は雨から解放してほしいのです。この感覚わかりますか。

 

【人間は意味づけに支配されている】

この意味づけというのは、後天的に経験していく中で、どんどんつくられています。誕生日は普通の日より特別な意味をつけるので、雨でも降ると「せっかく誕生日なのに、朝から雨かよ」となるかもしれません。後天的に「雨」という経験を通していやだったり、誕生日というものに対して、1年に1回しかない特別の日だみたいな意味づけをしていくことによって余計にそうなるわけです。

でも、よく考えてみてください。生まれてきて「せっかく俺、今日生まれてきたのに、雨かよ」と言ってがっかりしてる赤ちゃんはいないですよね。

何が言いたいかというと、「誕生日に雨が降ったらがっかりする」という意味は、後天的にあなたがつくりだしたという証拠なんです。もし誕生日の雨は、どんな人をも万人に、いやな気持ちにするのだとすると、生まれた日の赤ちゃんもいやな気持ちをして、実は生まれて泣いていたのは雨だったからかもしれませんが、そんな赤ちゃんは実際にはいないのです。

ということは、常に認知の脳で経験とともに意味づけが育まれていき、我々はそれによって心の状態にノンフローをつくり出されている。これが大きな仕組みです。

なので、ぜひこの意味づけペタンコに気づいて、本来意味がついていないものをよく見てみてください。意味づけしながら、毎日朝から晩まで生きていますけども、本当はどんなことにも意味はついてないんですよね。

 

【「バカ」という言葉には意味はない】

上司に「バカ」と言われたとします。「侮辱」という意味がついてます。
たしかにそういう意味を、ほぼ万人がつけていると思います。「なんで私がバカって言われなきゃいけないの」と思うでしょうし、言っている上司も何か意味を持って言っているのでしょう。それで落ち込んでしまってノンフローになっていると、それは上司のバカという言葉に支配されているんです。だからといって、「バカ」という言葉を褒められたというふうに思えというポジティブシンキングではありません。「バカと言っていただいて、ありがとう」ではありません。


「バ」という音と「カ」という音がやってきただけなんです。上司はその言葉「バ」と「カ」という言葉を私に投げかけてきた。じゃあ、何をしたらいいんだろうということを、考えてほしいんです。ところが、何をしたらいいんだろうと考える前に、ほとんどの人は「侮辱」という意味をつけて、「がっかり」か、腹を立ててノンフローになって時間を過ごしています。

この「バカ」という言葉は極端ですけれども、あなたにいろいろなものが情報として、常に朝から晩までやってきます。それは、「何をしたらいいのか」ということのための情報であって、そこに、「あなたが心の状態に揺らぎやとらわれをつくりだしていく意味づけするのはやめましょう」じゃなくて、本来、意味がついていないものに、あなたが勝手に意味をつけて、あなた自身がノンフローになっているということを知り抜いてくださいということが大きなテーマです。

 

【何が起こっても揺らがない方法】

「意味づけするな」とは言っていません。人間は意味づけしなくなることは、永久ありません。
認知の脳が働き続けている限り、必ず固有の意味づけをします。


「意味づけするな」ではなく、「ノンフローな感情にならないようにする」ためではなくて、ノンフローな感情から、いつでも自分の方法で解放することができるということなのです。

 

つまり、ライフスキルで意味がついていないということを自分で認識できる人は、外側の『出来事』からいつでも自分の心を守って解放することができるので、余計に感情豊かに生きることができるんです。喜びたければいくらでも意味づけしていてもいいし、落ち込みたければいくらでも意味づけしてもいいけど、普通の人はそれが全部外側の『出来事』によってつくられているので、新しい出来事が起こるまでは、その感情を変えられないわけです。

 

【ポジティブシンキングだけでは乗り切れない】

その感情を謳歌しながらも、もしその感情を早く手離したいのであれば、「意味がついてない」というこのキーワードによって、その感情をつくりだした認知と意味づけから早く解放することができるということが大事です。
「世の中意味がないんじゃないか」とか、「意味がないと困っちゃうんじゃないか」とか、「意味がないなんてやってたら、感情がなくなるんじゃないか」という質問を受けますが、逆に感情豊かに生きることができます。喜びたければ、いくらでも喜べばいい。落ち込みたければ、いくらでも落ちこんどけばいい。


意味づけする自分は永久に持っていて、それプラス、それを客観的に見て気づきましょう。でも、もともとは意味ついてないよということを知っていることによって、そこから解放できるチャンスはあるということです。

 

朝から晩まで、もうペタンコ、ペタンコ、ペタンコ、ペタンコしてますから。
苦しいんですよ。そして、無理矢理「いい意味づけつけなきゃ」と言って、ポジティブシンキング、ポジティブ、ポジティブってやってますけど、限界はあります。


 

【「ワンアウト満塁」というピンチはない】

野球でノーアウト満塁ピンチとかいうのも意味づけです。9回 ノーアウト満塁という状況があるだけだから、やるべきことをやるだけでいいのに、みんな「ピンチだ」なんて言ってノンフローになってるいるのです。

それによって結局とらわれて、考えないとか、気にしないとか、「いや、この満塁も何か意味があるんだ」とやってる場合じゃないでしょう。ただノーアウト満塁なだけなんです。

 

もっと何をしなければいけないかに、脳を使うべきですよ。だから認知の脳も、何をするかの方向に持っていきながら、心の状態は意味づけで、外側の出来事によってつくられるんじゃなくて、「自分の心は自分で決める」と言いながら、それを「意味がついてないし」という言葉でさらに強化していくことで、自分の心の状態をさまざまなライフスキルで守るということができる。

それがバランスのいい、本当に賢い人の生き方だと思うのです。

そうしたら毎日フローで生きられ、パフォーマンスは上がります。

でも、いろいろなことは起こるし、相変わらず自分の固有の意味づけは持っていますけど、もうそれで支配されることもすごく減ります。すごく豊かな楽しい人生になるんです。

 

「意味ついてないし」というテーマでの課題は、自分がノンフローになった時、何かノンフローな感情、例えば「イライラ」「ウザイ」「むかつく」「がっかり」「不安」「腹立つ」「心配」。そういうノンフローな感情に気づいた時に、自分は何か外界の出来事、『環境』、『経験』、『他人』に意味づけしているんじゃないかと気づきましょう。まず、自分が意味づけをしたことによってそれが生じているんだということに気づきましょう。

きっかけは、自分のその感情に気づくところから、今回の課題をやってみてほしいと思います。
自分のノンフローな感情に気づいたら、自分が何かしらの意味づけ、認知による意味づけがあるから、そのノンフローな感情が起こっているのことに気づくのです。


そして、その認知、意味づけは自分がしているんだ、自分が勝手につくりだしているんだなあと言ったあとに、「でも、本来、意味ついてないよね」と自分に言うか、仲間に言うか、人に言って自分の脳みその中に「意味がついていないものに、自分が勝手に意味づけしながら、自分がノンフローな感情を起こして自分が苦しんでいるんだなあ」というこの構造に気づかせる、ということを強化してほしい。ペタンコして意味づけして、「意味がついてないし」というふうに自分に言い聞かせることを、ぜひ1日3回から10回でやってみてください。そのうち、自然にその脳が働くようになることは、間違いありません。

 

「今日は天気で風もすごくすがすがしくて気分がいい」といって、「ちょうど電車にも間に合ったし、最高じゃん」と言って、「自分の好きな人に今日も会えたし、よかったなあ」というようなよい意味づけをするのも、別に悪くはないです。

しかし、よい意味づけもやっぱり意味づけで、それでないと動けない人は、電車に間に合わないと気分が悪いし、いい天気じゃないと気分が悪いということになってしまいます。

全部意味づけだということを知っていないと、よい意味づけだけはして、悪い意味づけだけは解放するということはできにくいので、よい意味づけも自分の意味づけだということは知っていたほうがいいです。

 

究極は、結局はフローになって、自分らしく自分のパフォーマンスをエクセレンスにしていくということが、この辻メソッドの本質なので、よい意味づけをしながらフローになっていることを、決して否定はしません。いつも  元気で、いつも好きな人といつも好きなことをやって気分がいい。それだったら別にそれを否定する必要はないなというふうには思います。でも、それはポジティブシンキングとはちょっと違う。無理矢理ポジティブに考えていくのとは違って、もう自分の中で形成されてしまった意味づけはなかなか変えられないですから、それを無理矢理変えていくということをするよりは、私はそれに淡々と気づいていくほうが、よっぽど解放されて簡単だということです。


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