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フローマインド12 一生懸命を楽しむ生き方
2021.05.01
一生懸命を楽しむ生き方 (辻秀一メソッドより)
■ フローもノンフローも心の状態
いつもフローで生きるっていうのは、簡単ではないです。なぜなら、人間は認知の脳もあって、四六時中24 時間、365日、死ぬまで認知の脳が外界の環境や出来事や他人に意味づけを起こしていくわけなので、当然ノンフローは起こっていいです。
「ノンフローが全く起こらない」のが、フローマインドの大きな目的ではありません。ノンフローにはなるけれども、どれだけ早く切り替えることができるか、もしくはノンフローに少しずつなりにくいような自分になってくるのか、もしくはノンフローになっても、より大きくフローのほうに自分のライフスキル、脳の使い方だけで切り替えていけることができるかっていうようなことを「主眼」に置いてるのです。
ライフスキルを身につけていったとて、ノンフローにならない人がいたら「怪しい」ので、そこはご注意ください。人間である以上はノンフローになってもいいし、また、「ノンフローがいけない」という意味づけも持ちがちですが、それも気をつけてください。
こういう勉強をし始めると、「フローがよくて、ノンフローがいけないんだ」「フローでなければいけないんだ」ってなりがちになります。
そうじゃなくて、ノンフローになったっていうのも、ただノンフローになっただけで、ノンフローのほうが人間の機能が下がって、パフォーマンスが出にくいというただの状態です。
いつも例に出す話ですが、携帯電話の「圏外」になるのが悪い携帯ではないですよね。圏外には絶対なるわけですから、地下に入ったり、山奥に行けば、それに気づけなかったり、その表示が全くわかりにくい携帯は問題だったりするわけで、携帯が圏外になるからこの携帯はダメな携帯だっていうことはない。全くそれと同じで、人間というのはノンフローになります。だからご安心ください。
ただ、それとは別に、淡々と、日々毎日この新しい脳の使い方、「外側の出来事に依存せず、そう考えるだけで、そう気づいていくだけで、自分の心の状態に変化が起こります」っていうライフスキルを、いかに日々意識しているかということが、脳の中に、組み込まれていきます。もしくはすり込まれていきます。シナプスが形成されていきます。
そうすると、今までのように、雨も降るし、電車にも乗り遅れるし、人から嫌なことも言われるし、仕事がうまくいかないこともあるし、大変なことも起こりますが、そのときの自分の反応が、日々そういうライフスキルを意識して磨いている人は、何かしらの変化が起こってきます。そう思ってください。
何かノンフローが起こったときだけ、これまで習ってきたようなライフスキルを持ち出すのではなくて、日々そのライフスキルを意識して磨いていることによって培われたあなた自身が、これから起こるさまざまなものに対する対応、心の変化の具合が変わってくる。そんなふうに思ってもらえると、イメージしてもらえるといいと思います。
「じゃあ磨くって、どんなこと」をおさらいしてみましょう。ライフスキルを磨くっていうことは、まず意識して考えること。「ただ考える」だけです。
ただ考えるだけで心の変化が起こる。それだけで十分なのに、皆さん、認知の脳で生きてるので、認知の脳は行動と結果が大好きですから、「ただ考えるだけでいい」って言われても、「フローの価値を考えましょう」とか、「今に生きましょう」というようなことがあり、今に生きると考えるだけでいいんですけれども、「いつも本当に今に生きられてるかな」ってなりがちです。この違い、わかりますか?
ライフスキルは「今に生きる」と考えるだけで心に変化が起こります。でもみんなは認知の脳で聞くので、「あんなに習ったのに、俺、今に生きられてないよ」と言って反省します。いや、今に生きられる行動を取れてるかどうかは、もっと先の話であって、我々はまず心を変化させようとしてるのです。実際、本当に今にしか生きてないような人間、仙人じゃあるまいし難しいと思います。
■ ただ考えるだけで心が変化する
人間は認知の脳がある限り、過去や未来に脳が行ってしまいます。どんなときも、24時間、365日、「ほんとに今に生きてますか」っていうことを問うようなことがライフスキルなのではないんです。「今に生きる」と考えると、フロー化が起こる。外側の出来事に関係なく心に変化が起こせる。
「フローの価値が何だったのか」が大事なんじゃなくて、フローの価値を考えると、考えただけで、もうその瞬間に、フローの価値が何だったかとは別に、心に変化が起こる。そういうことがライフスキルの醍醐味です。
ですから、「考える」っていうことによって心の変化が起これば、そこではじめて人間はフロー化が起こって、行動が、アクションが起こせるようになってくる。その素地づくりをやろうとしてるわけです。
でも認知の脳というのは、そんな心づくり、素地づくりは置いといて、いきなり行動し、それをさせるためには、脳でわからせるために、理由や理窟や意味を明確にして行動させるっていうやり方をしています。なので「ただ考えるだけで心の状態が変わりますよ」っていう、この極めてシンプルなことに何か違和感を感じるようです。
「ただ考えるだけで気分が変われば、そんなにすごいことはないじゃないですか。画期的なことだと思いませんか」と、あえて声を大にして言いたいわけです。
心が変われば、おのずと自分の「機能が変わってくる」ので、認知も変わって、「行動も変わってくる」「考え方も変わってくる」ということは二次的に起こってきます。まず自分の心の状態をただ考えるということだけで変えていくことが、このライフスキルの醍醐味です。なので、条件とかが要らないわけですね。その辺をよく理解していただいたうえで、ライフスキルを増やしてってほしいと思いますし、いつも意識しててほしいです。
だから、「いや、忙しいので、ライフスキルのことをあんまり考えられなかったな」って。いや、考えるだけですから、そんな忙しくてもできるはずです。時間が10時間必要なわけじゃないですから。
「さあ、今に生きるために、座布団を敷いて、今から『今に生きる』とやる」とか、そういう話ではないのです。日々の生活の中で、今に生きるとか、さまざまなライフスキルをちょっと考える。気づく。感情に気づく。「あ、意味づけしたな」って気づくのに、何秒かかるんですかということです。
それを習慣をしながら、そこで得た心の変化、感情の変化を自分で見つめて、それを強化するためにアウトプットする。「しゃべる」ですね。そして、それを人とシェアしたり、分かち合っていくと、ますます脳の中に入るというのが、このライフスキルの醍醐味になっています。
■ 「楽しむ」のは悪いことではない
ということで、今日は新しいライフスキル「一生懸命を楽しむと考える」。「一生懸命やってますか」とか、「楽しめてますか」って問わないです。「一生懸命を楽しむ」と考えましょう。
いいですか。「どうやって一生懸命やるのか」とか、「どれだけ楽しんでるかな」って、また分析しないようにお願いします。「一生懸命を楽しもう」と考えた瞬間に、気分、絶対変わりますから。
まず、「楽しい」っていうこの感情はどうですか。意味づけからすると、「いいこと」ですか。もしくは「悪い」っていう意味がついてますか。
会社によっては、「楽しい」っていうのがよくないと思っている会社もあります。なんか部下が楽しそうにしてると、上司が機嫌悪くて、「おまえら、何楽しんでるんだよ。仕事で金もらって」だったり、部下が苦しそうにしてると、「よし、よし」みたいな会社があったりとかです。
これもいつも申し上げる事例ですけれども、会社のお金で、あるセミナーに出ました。セミナーから帰ってきて、上司に「今日のセミナー、どうだったんだ」って言われたので、「超楽しいセミナーでした」って言ったら、まず、即怒られたと。
「会社のお金を使って、楽しませるためにおまえを行かせたわけではないぞ。反省しろ」と。「楽しんだことを反省しろ」と言われたっていう事例があるぐらい、とかくどこかで「楽しいがいけない」と思ってる節があります。
「楽」はいけないと思いますけど、私は、「楽しい」と感じてることは、最も「揺らがず・とらわれず」な感覚なので、人間の機能は上がるし、パフォーマンスは上がる、間違いないと思います。問題なのは、楽しいと感じてることではなく、認知が間違えていて、「やるべきことができてないこと」が問題なのです。そのやるべきことを認知でちゃんと明確になってやれてることを楽しいという心の状態でやってることは、決してふざけてるわけでもなく、何の問題もない。むしろこれこそがフローの大きな状態、大きな価値のある状態だと思います。
■ 苦しんだことを評価する国民性
なんか苦しくないといけないように思ってしまった我々日本人。なんか「苦あれば楽あり」といって、どこか「苦しんでないとよくない」みたいなところがあります。
オリンピックでも、一番苦しんだ人が勝ったわけではないです。オリンピックに勝つのにふさわしいことをやった人が勝ってるわけです。苦しんだから勝つっていうんだったら、ほんとにいつも包丁を持って突き刺して、血まみれになってるやつが勝つわけで、苦しんでるから勝つっていうのは、もうそこに言い訳がある感じなんですね。
「俺、こんなに苦しんでるんだから」といって、何とか納得させたいだけの話です。当然僕らは、何か目標を目指して行動しようと思うと、苦しいという意味づけが起こりがちです。認知の脳は、そういう意味づけが好きですから。
たとえば、「夜遅くまで起きてたら苦しい」とか、「1のものをやるよりも10やったら苦しい」とか、「2のものを持つよりも10のものを持ち上げたら苦しい」とか、脳が意味づけを持ってます。しかし、だからといって、苦しいからうまくいくっていうのは本当に妄想だと思います。どうせやるんなら、せっかくやるんなら、どんな気持ちでやるかっていったときに、楽しいほうが、僕はフローで、人間の機能は上がると思います。
ここで大前提として「楽しいはいいことだ」とします。楽はダメですよ。
どうせやるんなら、「楽しい」という感情でもの事に向き合ってやるんだとして、また、楽しいはフローでいいことだとすれば、「じゃあ皆さんの生活や仕事の中に楽しいと感じるのは、どんなときがありますか、どんなことがありますか」というのを、いつも考えてもらったりします。
■ 結果が出る=楽しいとは限らない
皆さんの生活や仕事の中に、どんなとき、どんなことが楽しいでしょうか。リストアップしてみてください。
たとえば、先輩に褒められたとき。お客さんから「ありがとう」と言われたとき。プロジェクトが終了したとき。予想よりも売り上げが上がったとき。いろんなときに楽しいと感じるはずです。そんなことを一回リストアップして みましょう。
楽しいっていうことが、自分にとって、まずいいのかどうか。どんな意味がついてるのか。「いい・悪い」を判断するわけではないですが、皆さんにとってどんな意味づけがついているのかを、まず考えてください。
このリストアップした素材を分析してもらいます。「結果に基づく楽しい」「過程の中にある楽しい」。それぞれ分けてもらいます。
結果に基づく楽しいにRESULTの「R」をつけてみましょう。過程PROCESSの楽しいに「P」をつけてみましょう。Rと Pを分けていったりします。
たとえば、アイデアを考えているのが俺は楽しい。これはPROCESSなので「P」ですね。プロジェクトがうまくいったら楽しい。これはRESULTなので、「R」です。こうやって分けていって、リストをちょっと分析してみましょう。すると、今までの経験によると、どんなビジネスマン、OL、コンサルタント、企業家、アスリート、アスリートでもオリンピッククラス、プロクラス、一般市民アスリート、音楽家、あらゆる人たちの8割から9割ぐらいはRが多いですね。当たり前ですね。僕らは認知の脳で生きてるので、「儲かったら楽しい」「うまくいったら楽しいです」っていうのが、人間です。なぜなら人間は認知で生きてるからですね。結果の「楽しい」をつくります。
■ 人とかかわるほうが楽しくなる
しかし冷静に考えてください。結果の「楽しい」は、確かに魅力的で、麻薬のように我々を支配していきますが、この楽しいは刹那的です。その瞬間しか楽しくないと思いませんか。
勝ったら、楽しい。そのときだけじゃないですか。終わったら楽しい。終わった瞬間にまた始まりますよ。この「楽しい」は、ものすごく魅力的で、ものすごく魔力的で、ものすごく大きな楽しいなんですが、刹那的ですから、一瞬しかないのです。なので、この「楽しい」で生きてる人は、また1秒後から「苦しい」が始まります。そして「勝ったら楽しいんだけど、勝ったら楽しいんだけど」ってやってます。
今のオリンピックの選手たちでもいますね。もちろん勝ったら誰でも楽しいんですけど、それ以外はすごい苦しそうにしてる選手たちがいます。
でも実は、この結果の「楽しい」だけではもちません。プロセスに楽しいがない。すなわちフローがなくなってくるからです。すなわちパフォーマンスが上がりにくくなってくるからです。すなわち結果が出にくくなるということです。
「勝ったら楽しいんだ」って、ずっとそれを願ってやってると、とても苦しくなってきます。すなわちノンフローがやってきます。まずこういうのが、我々人間です。ですから、8割、9割あったからいけないわけではなくて、それが人間で、自分もその例外ではないということをわかってください。
もう一つ僕らは、どんなことで楽しいかというと、「人がいると楽しい」「他人がかかわることによって楽しい」が起きます。先ほどのリストを全部チェックしてみてください。
「人がいることによって楽しい」というリストがあれば、これはOTHERS、人が必要なので「O(オー)」ってつけてください。そして「自分一人いればできる楽しい」に、MYSELFなので「M」をつけてください。「M」と「O」で分けていきましょう。
人がいないと楽しめないことであれば、「O」です。自分一人いれば楽しめることであれば「M」です。「O」と「M」をつけていってみましょう。どうなりますか。
一個一個見ていきますと、「O」が多いことに気づきます。これもいろんな人たちにやってますが、だいたい「他人がいたほうが楽しい」ことのほうが過半数、6割ぐらいを占めるケースが多いです。6割から7割。別に多すぎても問題ないし、少ないからダメだとか、そんなことは全然ないです。だいた い6~7割ぐらいは、やっぱり人が絡むことで自分の「楽しい」をつくられています。
■ 子どもは一生懸命楽しんでいる
僕らは人がいたほうが人間は楽しいようにできてますから、一人で飲みに行くより、みんなで飲みに行ったほうがいい。一人でバスケットをやってるより、みんなでバスケットをやってるほうが楽しい。一人で何か見てるより、みんなで応援して見てるほうが楽しいっていうのは人間です。これを否定してるんではないですが、これも冷静に考えると、人に「依存」してるので、その人がいてくれなかったり、その人がしてくれないと、もう楽しくなくなるんですね。そうすると、「あいつがいないから」とか、「あいつがしてくれないから」とか、「あいつがこうだから」といって、自分の「楽しい」を、またあいつに持ってかれるようになります。
まさに自分の心が持ってかれるようになります。あまりよろしくないわけですが、僕らの6割から7割ぐらいは、人に依存しながら自分の「楽しいということがつくられている」ことが多いわけです。
そこで、どういうことが大事なのかっていうことを考えてみます。自分一人でできて、結果に依存せずできる「M」と「P」、「M&P」だった項目は何個残ってますか。自分一人いて、プロセスで楽しめるもの。
たとえば、先ほど私が出した例のように、「アイデアを考えてるとき楽しいです」。これはM&Pですね。こういうのがあれば、いつでもどこでも自分の「楽しい」をつくれるわけです。
ライフスキルの方向は、外側の出来事に依存せず、いつでも、どこでも自分次第で自分の心をつくっていける、切り替えていける、マネジメントしていけることです。これがライフスキルの醍醐味なので、このM&Pを見つめてみると、それがその人の、ライフスキルというふうに定義されるかどうかは置いておいて、その人の自分で自分の心に「楽しい」をつくり出せる真の力です。「勝ったら楽しい」「みんながいたら楽しい」は、誰でもできます。もしくは、誰でもできると同時にリスキーです。
■ 楽しむ遺伝子を「ON」にする
そこで、「M&Pの代表は何なの」っていう話なんですけども、M&P、自分さえいればできるプロセスの「楽しい」は、「一生懸命が楽しい」っていうことがよくわかってることです。 実は人間は、もともとは「一生懸命を楽しむ」っていう構造が人間には遺伝子として組み込まれていると思います。遺伝子論で話をすればです。
遺伝子の研究も進んでるので、筑波大学の名誉教授の村上和雄先生が、遺伝子もスイッチがオンになったり、オフになったりというようなことをおっしゃって、画期的な研究をされてます。
我々はもともと、一生懸命は楽しいことなんだっていうことを感じる遺伝子があり、オンになっているはずなんですけど、だんだん年とともにオフ化されてきます。
どういうことかというと、皆さん、小さいころは、とにかく夢中で一生懸命やっていることが、ただ楽しかったはずなんです。どんな人もです。ところが大人になるにしたがって、みんな認知がたけてきてしまうので、一生懸命やるのにも理由や理屈が必要なんです。
「おまえ、そんな一生懸命やって何になるんだ」とか、「一生懸命やるから、何かくれるんですか」とか、「この一生懸命やることの目的は何ですか」とか、「この一生懸命やることは、何のためなんですか」とか言って、理屈をこねてきます。そして、ただ一生懸命が楽しい子どもに、「おまえ、そんなことを夢中にやって何になるんだ」とか言って声をかけてしまう。
「そんな一生懸命、ただやってたって、何もならんぞ」みたいなことを言うようになっていくうちに、実は一生懸命の最大の財産は「楽しい」と感じることだったのに、それをどんどんどんどん僕らは認知の世界に入ることによって、大人になるにしたがって、手放していってしまいます。だから人間である限りは、必ずこの「一生懸命が楽しい」と感じるようにできてるはずですが、多くの大人は、もうスイッチがオフになってるので、またそれを呼び覚ましていかなきゃいけないんです。
そのためにも、一生懸命を楽しむと考えていくことが、この遺伝子をだんだんオン化させていきます。オフ化されている遺伝子がオン化されて、「ああ、確かにそうだな」っていうことを、大人になっても継続的に感じていけるようになっていくはずなんです。
「一生懸命」と「楽しい」は共存です。ほとんどの人はそれを忘れてしまって、並列ではなく縦列型になってしまっています。一生懸命は苦しい、つらいこと。だから楽しいが必要なんだというふうになってます。そうじゃなく、「一生懸命」と「楽しい」は並列です。
縦列型の「一生懸命と楽しい」の思考の典型的な会話は、「一生懸命働いたから、ご褒美にみんなで打ち上げに飲みに行きましょう」みたいな。でも一生懸命働くのも楽しいし、飲みに行くのも一生懸命だから楽しいのであって、一生懸命で日本人はご褒美がいるらしいですね。それはいかがなものかなと私は思います。
子どもにこう言います。「あなた、○○ちゃん、一生懸命勉強したから、ご褒美にディズニーランド連れていってあげます」「一生懸命勉強したんだから、ご褒美にイチゴパフェ食べさせてあげますよ」なんて、一生懸命にご褒美なんか要らないですよ。「一生懸命やってることが楽しい」っていうことを教えて、褒めて、体感させてあげたほうが、ずっといいとことだと思います。
■ 欧米のスポーツ選手の育て方
欧米の子どもたちのスポーツの教え方は、ここを徹底するように言われてるっていうふうなことを、ジュニアユースのコーチングの本とかによく書いてあります。ニュージーランド、オーストラリアのラグビーの子どもたちの指導、アメリカのバスケットや野球の子どもたちの指導、ブラジルやドイツのサッカーの子どもたちの指導は、いかに「一生懸命が楽しい」のかっていう体験をさせることが、コーチの最も大きな役割であるといいます。
一生懸命が楽しいっていうことを十二分にわかってる選手をつくることができれば、大人になっても、「おまえら、一生懸命やれ」って言わなくて済むから。「やる気があるのか」と言わなくて済むからですね。
NBAにちょっと関係しているバスケットボールのコーチが日本に来て見てもらったときに、「日本のコーチは、なんで選手たちに『おまえら、やる気があるのか』とか、『おまえら、一生懸命やれ』ってあんなに言うのか」って、僕は質問されたことがあるんですが、ちょっと恥ずかしい感じでした。
要するに、みんなが一生懸命を楽しむ。それができるやつが、ここに集まっているはずじゃないかと。つまり、Play hardな感じなんですね。
Playの中に楽しむっていうことがあって、Play basketballhardだし、Play baseball hard。Play っていう言葉があるので、楽しむっていうのが、もう大前提に入ってる感じですね、人間として。それをhardにやる。
逆にhardをPlayするみたいな、この両方の共存が重要なんですけど、日本語はなかなか、Playという動詞がないので、「やる」っていうか、「する」っていうことになっちゃってますよね。だから「一生懸命やるのか、楽しくやるのか、どっちかにしろ」みたいな感覚なんですけども、Play hardですよね。
アメリカのベースボールはPlayerがball parkでPlay baseballをするんですよね。日本の野球は「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」、甲子園球場で血の汗流して、気合と根性で、グラウンドは男の戦場でやるという感じです。だから「人生もどうなんですか」っていうふうに思っています。
Play business hard。Play life hard。一生懸命を楽しむっていうことができる人は必ず、人生、幸せになるし、成功するんじゃないかなと、僕は信じて疑っていません。
それは特別難しいスキルではなく、もともと、認知の脳にたける前は、純粋に人間は一生懸命を楽しめたはずです。このときの「楽しい」を、何かと比べちゃダメです。
■ 認知脳は人と比べるのが好き
認知は、また比べます。「先生が言うんで、一生懸命を楽しんでみようと思ったけど、別にハワイに行ったときほど楽しくなかった」って…。当たり前です。この仕事をどうせやるんなら、せっかくやるんなら、「適当にやるより一生懸命やってるほうが楽しい」っていう方向に、心がやや変化しますよと言っています。それだけでもえらい大事なことじゃないですかと。この「楽しい」を何かと比べちゃダメです。
そりゃあオリンピックで優勝したときの「楽しい」と、目の前に仕事がたくさんあって、それを適当にやっているときから一生懸命やったときに感じる「楽しい」を比べてしまったら、もしくはボーナスもらって、ハワイに家族で 買い物に行って、旅行に行って、のんびりしてるときの「楽しい」と比べちゃダメです。どんなときも適当にやってる自分より、一生懸命やってるときのほうが楽しいと感じるように人間はできてるので、まず一生懸命を楽しもうと考えることによって、心に変化がちょっとずつ起こってくる。その現象を、ぜひぜひ大事にしていただきたいなと思います。
何回も言うように、「どれだけ一生懸命やってるのか」とか、「一生懸命やるにはどうしたらいいのか」とか、「どれだけ楽しめてるか」とかは分析する話ではなくて、一生懸命を人間は楽しいと感じるような遺伝子があるので、一生懸命を楽しむとまず考えていくうちに、ちょっとずつそう感じてくることがあるはずです。それがライフスキルの財産になりますので、ぜひ「一生懸命を楽しむ」って考えてもらいたいと思います。
「楽しむって何なんだろう」って考えていくのは認知の仕事で、それを考えてフローになるんだったらいいです。「その楽しむって何だろう」とか考えていくうちに、訳わかんなくなっちゃうし、一生懸命を楽しもうと考えてると、「考えてないときよりも気分がいいからそれでいいじゃないか」というのがシンプルな感じです。
だからそれを日ごろから練習しておくと、自然と脳の中にその思考のシナプスが形成されて、いつも動いて働いてる感じなんですよね。ウイルスバスターのように。例えば迷惑メールは来るんだけど、自然にそれが処理してくれて、迷惑メールフォルダーに入れていってくれる感じです。ノンフローが来ると。
同じ楽しいでも一生懸命楽しめるっていうのがライフスキルなわけです。しかし、もう一つ、それと対極の認知的に、先ほど「結果の楽しい」とか、「人に依存して楽しい」が、それらを総称する「楽しい」っていうことは、何かの事柄にひもづいているように思っています。楽しいっていうのは、このことがあるから楽しいんだって、みんな思い込んでます。
でも、「楽しい」っていうのは心が感じることです。実は、内容に関係なく一生懸命やってるだけでも楽しいと感じれればそれでマルなんです。しかし、認知的には、このA っていうことがらがあったら俺は楽しいと感じるから、「楽しいはA」っていうことがらなんだっていうふうにすごく思っているわけです。それが結果の場合であったり、他人に依存している場合が多いんです。「ことがらBは苦しい」という俺の意味づけがついてるから、俺にとっての楽しいという意味づけのついている出来事があって、俺は楽しくなるんだって、みんな思い込んでいます。
それって全部認知による意味の会話なわけです。自分が長年経験して、育ってきて、「俺にとっての楽しいはA」ということがらなんだっていうのを、意味づけでみんな持っちゃってるわけです。
■ 楽しさを運んでくる人はいない
つまり、僕らの「楽しい」は、みんなことがらに依存しているというふうに思っています。口癖のようにこう言います。
「なんか楽しいこと、ないかなあ」
「楽しいこと」が俺を楽しくさせていると思ってるからです。でも、その楽しいことっていうのは、全部「自分にとって楽しいと勝手に意味づけしていること」なのです。それを悪いと言っているのではありません。「なんか楽しいことないかな」って言って、そのことがらを宅急便のように送られて待っている人生では、それは「なかなかうまくいかないんじゃないかな」っていうのが、このライフスキルの考え方です。
「楽しいことないかな」って言って、宅急便屋さんがピンポンって持ってくるはずもないわけです。サンタクロースはいないですから、間違えないようにしてください。
サンタクロースはいないので、逆に言うと、ライフスキルがつくと、「サンタクロースが来るようになる」っていう話でもないです。「楽しいという感情は自分でつくりましょう」っていうのがライフスキルの醍醐味なわけです。何かもらえたり、スポーツで勝ったら楽しいですが、それと自分が楽しいっていう気分をつくるのは別な問題です。ことがらが来て、ピンポンが来て、楽しいことが来て、サンタが楽しいことを持ってきてくれて、それを楽しんじゃいけないとか言ってる話でもないし、それをダメだとも言っいません。しかし、プラスアルファ、「自分の『楽しい』を自分でつくることが人はできますよ。それをつくらせてくれることがライフスキルですよ。そのためには一生懸命を楽しむっていうことを日々やっていくことが重要ですよ」っていうことが、私のトレーニングの根幹の中にあります。
いつも出す事例なんですが、「先生は昨日、楽しかったですか?」って聞かれたら、僕は即答でだいたい「楽しかっ たです」って答えます。でも大抵の人に「昨日楽しかった?」って聞くと、ほとんど「昨日まず何があったかな」から始まります。
手帳を見て、もしくは思い出そうとします。「昨日、何があったかな、楽しいこと」とかいって。「いや、なかったな」とかいって、もうことがらで決まっちゃってるんですね。だから自分にとっての楽しいという定義づけされた意味づけしたものはなかったら、もう昨日は楽しくなくなるんですよ。
でも「昨日楽しかったですか、先生」って言われたら、何があったかなんて何も考えないです。即答です。「楽しかったです」って言います。なぜなら、昨日も一生懸命生きたからですよ。一生懸命生きて楽しかったですよ、昨日。それプラスアルファ、じゃあどんなことがあったかなというと、「ああ、あんなこともあって、あれは楽しいっていう意味づけがあったな」とか、「ああ、でも苦しいこともあったなあ」とか、「まあ大変なこともあったな」っていうのはありますけど、まずは一生懸命があったので、「昨日も楽しかった」「今日も楽しい」「いつも楽しい」っていうふうに思っています。そういうふうにぜひ生きていけるように、「一生懸命を楽しむ」と、まずは考えることです。
「どれだけ一生懸命やってるか」ってならないようにしてください。一生懸命を楽しもうと、まず考えて、そこから始まれば、だんだんだんだん遺伝子がオンになってくるし、そこで何か心の反応がだんだん起こってくるはずです。ぜひ一生懸命を楽しむと考えるところから始めて、このPlay hardのライフスキルを手に入れてください。
「楽しい」を外へ探しにいかなくても、サンタクロースを待たなくても、「楽しい」を自分の人生の中につくり出すことができるはずです。