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フローマインド23 楽しませてあげる生き方
2022.04.28
楽しませてあげる生き方 (辻秀一メソッドより)
■ 楽しいことは悪いことではない
今日のテーマは「楽しませてあげる」。
コーチ力はまわりの人をフローにする。「楽しい」というのは皆さんにとってフローですから、当然、「楽しませてあげる」というのはコーチ力の王道と考えてもいいかもしれません。そのためには、まず自分がどうなのか。やはりここに戻るというふうに思います。
皆さんが日頃の生活の中で「楽しい」と感じるようなことは、どんなことがありますか。
どんなことが楽しいですか。 どういう時に、楽しいと思いますか。何が楽しいですか。
というようなことを考えていると、
「あれがあると楽しい」「これがあると楽しい」「こういうことがあれば楽しい」「こんな人がいれば楽しい」「こういうことをしてもらうと楽 しい」と、
ついつい認知的になって、気づくと何か「つらいな」とか、「しんどいな」とか、「あれさえあればな」と いうふうになりがちだったりします。
そもそも「一生懸命を楽しむ」という、
自分をフローにしていくライフスキル=社会力、そこのところでも「楽しいとは何ぞや」と考えてきたわけですけれども、まわりを楽しませるなんていうことを考えれば、ま すます我々は「楽しいとは何ぞや」ということを、ちょっと見直す必要があるんじゃないかなというふうに思います。
まず絶対的な重要条件は、「楽しいことが悪いことではない」とわかっていること。
我々は認知、意味づけの生き物ですから、いいとか悪いとか、そういう意味づけをしていくわけですけれども、「『楽しい』が悪い」という意味すついている人がいますね。
■ 楽しいから人をフローにできる
部下が楽しそうにしていると、「なんかお前ら、ちゃんとやってんのか」みたいな、
機嫌の悪い上司。
つまり、「楽しい」は悪いことという範囲に入っているかもしれませんね。
どこかのセミナーに出て、会社に戻ってきて「今日のセミナー、どうだったんだ」と聞かれたので、上司に「楽しかっ たです」と答えると、「いやいやいや、お前、会社の金を使って楽しませるために行かせたわけじゃないから、反省 してほしい」と言われたという事例がよくありますけれども、皆さん、「楽しい」という感覚、感情は、皆さんにとっ てどのような意味がついていますか。
ふざけてる感じで、「なんかそれはいけないことなんじゃないかな」という方もいらっしゃるかもしれませんし、「楽しい、か。やっぱ、楽しくなきゃすべては始まらないし、楽しいことこそ大事だよな」という意味をつけている人も いるかもしれませんね。
やはりポジションが上になればなるほど、本当はコーチ力を学ぶべきだし、コーチ力を発揮しようと思うとますます社会力を身につけて、自分がご機嫌じゃないと人にコーチ力まで発揮していかない。
部下が見たら「今日は部長、機嫌悪いな」から始まって、ちょっとでも楽しそうにしていると、機嫌の悪い部長ほど、楽しそうにしている部下のことがまた気に入らないから「何やってんだ、お前は」みたいな、「何お前ら楽しそうにしてるんだ。
会社は楽しむ ところじゃないだろう。苦しんだご褒美で給料もらってんだろう」みたいな。
でも、苦しむご褒美で給料もらってる会社は、絶対勝てないと思うんですよ。
だって、我慢してるんだから、みんなで。
何で楽しくなるかというのは、人それぞれかもしれませんけれども、この「楽しい」という感情のある、あなた・人、 楽しいという感情を持っている、あなた・人は、どんな感じですか。
いい悪いはないかもしれませんけれども、少なくともフローな感情であることは間違いないし、パフォーマンス、人間の機能が上がる方向にいくことは、いい悪いに は関係ないですが、あることは間違いないと思います。
自分自身が本当に「楽しいことが悪いことではない。楽しいという感情はフロー、人間の機能を高めるために大切 だ」というふうな理解、楽しいということの価値でしょうかね。
「あなた自身が自分のものにしていなければ、まわりをまず楽しませるというようなコーチ力が養われるはずもなく、まわりを楽しませるというコーチ力に行き着くはずもなく」というふうに思いませんか。いかがでしょう。
■ 「楽しい!」はフローな感情
フローにはいろいろな感情がありますけど、楽しいと感じていることは少なくともフロー、Fの感情だから、人間の機能も上がるよね。
楽しいと感じていて機能が落ちる人はいないでしょう。
「楽しいと俺、どんどんまずいよ」というやつはいないはずなので、勝つための一つの手段、すなわち結果を出すための一つの手段として、自分もまわりも楽しいという感情を作れるような生き方、アプローチが重要なんじゃないですかというご提案です。
楽しいという感情は、あなたにとってどのような意味づけがあるでしょうか。
楽しいという感覚は、あなたにとっ て、皆さんにとっていかがでしょうか。
答えはなくてもいいですし、ちょっと振り返ってもらえるだけでもありがた いなと思います。
もう一つ、楽しませてあげる。
このコーチ力のために絶対的な条件というか、必須の理解として、「楽しい」にはいろいろあるということがわかっている感じです。とかく、自分の「楽しい」を押しつけようとする人がいます。
我々は認知の脳で動いていますので、「楽しいこと」というのを外側に自分独自のものを持っています。
「お休みが楽しい」
「ボーナスもらったら楽しい」
「営業が成立すると楽しい」
たぶん、いろいろな「楽しい」をお持ちだと思うんですけれども、その自分の「楽しい」に紐づいた事柄が、楽しいこととしてその事柄を与えることなんだって思いがちになります。
それはあなたの認知によって生まれた、あなたの意味づけの楽しい事柄であって、人それぞれ違う。大事なことは、 外側にある出来事よりも「楽しい」と感じているそのこと。
つまり、内側にある自分自身というものに目を向けられているかどうかが重要ですよというふうに思っていただきたいと思います。
■ 楽しいことは人によって異なる
数年前に、プロ野球のOBの方々向けに、スポーツのコーチをする時に必要なコーチングスキルといいますか、そういうことの勉強をする講習会に呼ばれたことがあるんですが、有名なプロ野球の方々がたくさんいました。僕が子どもの頃にファンだったような選手たちです。
そういう方々に、これから子どもたちを指導するというチャンスがあるので、皆さん勉強に来られたようなんですが、「子どもたちに野球のどんな『楽しい』を伝えたいですか」というと、彼らは「三振取ったら楽しいんだよね」「ホー ムラン打つと楽しいよね」「俺なんか滅多になかったけど、サイクル安打打つとすげえ楽しいよね」とか、「痛快に野手の間を抜けていく打球を打つと、とても楽しいよね」というようなこと、そういう野球の楽しさを子どもたちに少しでも伝えたいんだとおっしゃっていました。
「それは、そのプロ野球選手たちにとって楽しかったことで、逆にそれができたから皆さんはプロ野球になったわけで、みんなが三遊間抜けないし、みんなが三振取れないし、みんなが何本もホームラン打てないし、サイクル安打も打てないので、ご自身が楽しかったことを人に『楽しい』と押しつけているうちは、人を楽しませてあげるという生き方にはつながらないですよ」という話をしたんですが、まさに「楽しい」にはいろいろあるということがわかっていること。
一つじゃないよということがわかっていること。
自分の「楽しい」を押しつけるということが、楽しませてあげることとは違います。
「いいか、これ、楽しいだろう」 と言っている間は、楽しませている感じではないです。
「それはあなたの『楽しい』ですよね」ということでしょうね。
「楽しい」には、いろいろあるということがわかっている。そして、「楽しいこと」は悪いことではないとわかっている。 これがまず大前提にあります。
■ 結果でなく、プロセスをほめる
一般的に多くの人たちが、どういうふうになったら楽しめるんでしょうか。どんな心がけをまわりの人が楽しめる ようにすればいいんでしょうか。ちょっと考えてみましょう。
人が楽しいと思えることは、いくつかあります。結果が出ると楽しい。これはもう皆さんがすごく思っていることで、結果の「楽しい」は、その瞬間、その瞬間にある。その時その時にある麻薬のようなでかい楽しみですね。
この「楽しい」を、日本のスポーツは早くに教えようとしますね。
「勝ったら楽しいだろう」
「打てたら楽しいだろう」
「うまくいったら楽しいだろう」
たしかに楽しい。が、かなり認知的ですし、刹那的です。
ほめる文化が流行ってますけれども、「結果が出ると楽しい」 となると勝てないとほめられませんし、無理矢理とってつけたようなことを言わなきゃいけなくなっていく。本当に楽しませられる人というのは、相手ができることで、その人が自分で「楽しい」を作れるようなことをうまく褒めて あげられることが、「楽しませてあげるというコーチ力」につながります。
一体それは何かというと、社会力の中でもやりましたが、「一生懸命やることが楽しいんだよ」ということを伝えられる人ですね。つまり、一生懸命やっている部分をほめられることです。
「勝ったら楽しい」「うまくいったら楽しい」を褒めるのは、それはまた外側に依存する人をつくりがちですね。
「勝ったら楽しいぞ」
「そうですね。勝ったら楽しいですよね」
「だから頑張れ」
まあ、悪くはないです。認知的には。
しかし、勝てなくなった時、その人は楽しめなくなりますよね。一生懸命やっているその人を「一生懸命やってると楽しいよな」「一生懸命やってんじゃん。超いいね」というふうにほめてあげること。結果をほめることと、一生懸命やっているプロセスをほめていることは、大きな違いがあります。
ほめるという部分は、非常に今、注目されていますけれども、とかく認知的に結果や成果をほめるのではなくて、 一生懸命の楽しさをその人が持てるように指摘し、ほめていけることが大事ですね。
つまり、プレイ・ハードしてい ることを十分に認めてあげるということでしょうか。
■ 「一生懸命を楽しむ」を学ばせる
これはいつも私が出す例の一つですが、例えば子どもがテストで100点を取った時に、お母さんは何と言うか。
子どもというのは、「お母さんがうれしそうなことが楽しい」という生き物です。
私はお父さんをやっているので、お父さん的には絶対いつも負けます。残念ながら、子どもは「お母さんがうれしいことが楽しい」というふうに感じるようにできているらしいです。なので、子どもは小さい頃はお母さんの様子をすごく気にします。
「お母さんがうれしそうなのかなあ」「お母さんがうれしそうじゃないのかな」ということが、その子どもの「楽しい」 の中にすごく入っていて、お母さんの機嫌を気にします。
だから、お母さんがいつも機嫌よく生きていると、子どもはいつも楽しいです。
つまり、「人生は楽しいことなんだな」 ということを、子どもは小さい頃から学習します。
お母さんが機嫌が悪いと、子どもは楽しくないので、「世の中は 大変なんだ」って子どもの頃から学習してしまうほどです。
子どもが100点を取った時、お母さんは何と言うのか。
「あなた、100点取ってよかったわ。お母さんうれしいわ」
まったく嘘はついていないですが、子どもは「ああ、100点取ったらお母さんはうれしいんだ。100点取ることは私 にとって楽しいことの一つなんだ」と学習されます。間違いではないですね。そこに嘘もないです。
が、しかし、いつも子どもは100点を取るとは限らない。そうすると今度は60点の時にお母さんは何と言うかとい うことになりますね。「えっ、60点なの。よくやったわね」と、なかなかお母さんは言いにくいですね。「60点、何やってるわけ?」と、当然言うでしょう。
「あなた、本当にやってるの、ちゃんと」みたいな感じになるでしょうし、「60点、 ガッカリだわね」となります。
■「プロセスの楽しさ」を指摘する
そうすると、点数が悪いとお母さんはうれしくない。うれしくないということは、私も楽しくない。ということは、 私が楽しくないし、お母さんもうれしくないことはイヤだから勉強するという方向にいく人もいるし、60点取ったら 答案は見せなくなるという方向にいくやつもいます。
どっちがいいか悪いかという問題ではなく、「お母さんが結果で点数でうれしい」、すなわち「点数を取ることが楽しいことなんだ」と、お母さんが子どもに学習させていくと、そういうことになるリスクを負います。
お母さんはなんて言えば良かったんでしょうか。100点取った時に、「あなたは本当に一生懸命やったのね。100点 取ることよりも、あなたが本当に一生懸命やったことが、お母さんはうれしいわ」と言ってあげれば、一生懸命やることはお母さんの喜ぶこと。すなわち、一生懸命やることは楽しいことの一つなんだと、子どもは学習しますね。
60点取った時は、じゃあなんて言うんでしょうか。「あなたは一生懸命やったの?」と、まず聞いたほうがいいです ね。コーチ力「わかってあげる」ですね。
子どもが「一生懸命やったよ」と言えば、「ああ、一生懸命やったんだったら、お母さんはそれでもうれしいわ。
でももっと一生懸命やると、もっとお母さんはうれしいから、一生懸命できると思うわよ」と言えばいいわけです。
そうすると、一生懸命は自分で何とかなるものですけども、
点数は自分で何とかなるものではないから、まず一生 懸命やることの楽しさをまたそこで学習するので、「あなたはもっと一生懸命できると私は思うし、もっと一生懸命 やれるんだったらお母さんはうれしいと思うし、今回一生懸命ちゃんとやったんだったら、それはそれでまたうれし いと思うわ」ということが言えていくと、「一生懸命の楽しさ」をほめて学習していくということを作られます。
知らず知らずのうち、我々は認知の脳だけでいくと結果のことだけをほめがちになりますけど、ライフスキルが育ってコーチ力のある人というのは、そのプロセスの「楽しい」を指摘できる。
プロセスの「楽しい」をほめてあげられる。一番は、一生懸命の楽しさを伝えられるということになるでしょう。
■ 勝つ楽しさは誰でも知っている
今と同じような話でいくと、子どもたちに対するスポーツの指導のあり方という話をできると思います。ドイツの サッカー、ブラジルのサッカーの子どもたちの指導。ニュージーランドのラグビー、オーストラリアのラグビーの指導の仕方。アメリカの野球やバスケの子どもたちの教え方。何を一番大事にしているかというと、とにかく一生懸命やることの楽しさをいうのを徹底的に子どものうちに指導するというのが、コーチの絶対的な役割になっています。
典型的な例で言うと、日本のリトルリーグがアメリカに行くと、だいたいは勝ちます。それはなぜかというと、勝つ野球を教えている。なぜ勝つ野球を教えるかというと、勝ったほうが楽しいということを早く教えたいから、勝ったことの楽しさを早く教えるために、勝つ野球を教えます。
しかし、勝つことの楽しさは、基本、教えなくても人間の認知の脳はほぼ知っているので、「勝ったほうが悔しい」 という人、僕はいまだかつて見たことがないし、うまくいって落ちこんだ人を見たことがないので、
放っておいても勝つことの喜びは教えられるし、その人は知るというふうにはなります。もちろん、昨今言われる「小さな成功体験」 というのは大事だと思います。
だけど、勝つことの「楽しい」をそんなに最初から教えなくても、人は絶対勝つ方向にいきます。認知の脳がある限りは。
■ 全力プレーが成長につながる
子どもの頃にやっぱり何を教えるべきかというと、一生懸命やることの楽しさを子どもの頃からいかに指導者が教えて、その体感がたくさんあるかということが、その後の人生を助けていくことにつながります。まず、子どもの話をすればですね。
どういうことでしょう。アメリカの野球は思い切り投げて、思い切り振って、思い切り走る。これを「プレイ・ベー スボール」と呼んでいます。だいたいピッチャーはノーコンだし、打者はボール球を振るんです。
なぜかというと、そのほうが一生懸命やっていて楽しいからです。
そのほうが勝てるかどうかはわかりませんよ。でも、そうやって育っている子どもたちが、最終的にベースボールというアメリカの大リーグで下手くそで弱いかというと、決してそんなことはなく、日本の野球よりもずっとレベル が高いところでやっている。
彼らの野球の原点は「プレイ」で、一生懸命やることの楽しさを徹底的に追求してきた証として、あのレベルになってきているわけです。
だから、早くから勝つ喜びを教えて鍛えないとうまくならないというのは、はっきり言って妄想で、何の根拠もないなと私は思っています。
「ただ思い切り投げて思い切り振って思い切り走ることがプレイ・ベースボールで楽しいな」というふうに習っている子供たちのところに、日本のリトルリーグが行くとだいたい勝っちゃうのは、ピッチャーがノーコンなので、ベン チで見送りのサインが出て、押し出しで点数が入って勝ってしまうということがあるらしいですね。
そうすると日本は当然勝つわけですけども、勝ってみんなで喜んでいるその姿を見て、アメリカの新聞に取り上げられていたものが、スポーツ心理学会でさらに採り上げられていて、「日本の子どもたちは思いきり投げず、思い切 り振らず、思い切り走らずして、ベースボールのいったい何が楽しいのかと。勝つ喜びの前に、一生懸命やる喜び、楽しさはどこへ行ったのか」というふうになっています。
確かに勝つためだったら、まあ見送りしていれば押し出しで勝つんですけれども、そこにスポーツとしての学びというか、人間としての学びというか成長というのは、やはりないんじゃないかなというふうに思わざるを得ません。
もちろん子どもに対しては一生懸命の楽しさをほめて、その体感を増やしてあげること。これが何より大事ですね。
「じゃあ、もう大人は遅いのか」というと、大人だってもともと子どもだったわけですし、人間としての遺伝子も持っていますし、自分が一生懸命が楽しい。
まあそれも知っているわけですから、そこをいかに指摘してあげられるか。
「楽 しませてあげるコーチ力」の、まさに僕は原点になっているんじゃないかなと思います。
■ 相手の一生懸命を見て受け止める
結果の「楽しい」よりも、プロセスの「楽しい」を指摘し、そこを本当に楽しませてあげること。
ここを工夫してあげるには、一生懸命をやっている姿を見なきゃいけないし、そういう力がとても大事になりますね。
その聞いて一生懸命やっているという姿を手に入れていくことを、「わかってあげる」というコーチ力の一つが後ろ側で必要ですし、見て一生懸命やっているということをこちら側がしっかりと受け止めてあげるには、
次回やる「acknowledge」というコーチ力の中に「観察する」「観察してあげる」ということがあるんですけれども、そんなacknowledgeにつながるコーチ力があってこそ、この一生懸命の楽しさを伝えていけることにもなるかもしれません。
コーチ力は一つひとつが独立していそうですけれども、相手をフロー化していくためには、「わかってあげる」とか、「見通してあげる」とか、「応援してあげる」とか、「見せてあげる」とか、今まで出てきているさまざまなコーチ力が、 それぞれが相まって独立しているかのごとくですけども、その人の人間としての生き方として、まわりの人にどのようなフローを作り出しているのかということが、シンプルに絡み合って、その人の「人間力」を形成しているのでは ないかなというふうに思います。
■「楽しませてあげる」と考える
まずは、「楽しませてあげると考える」ことから始めてほしいんですね。「一生懸命の楽しさをほめてあげる」なんていうことにいきなり行こうと思う前に、「楽しませてあげよう」と考えて生きて人と接しているのか。人と会うごとに「楽しませてあげる」って考えているのか。
何も考えずにいつも人と接しているのか。その辺はぜひ考え直して もらえたらいいなというふうに思います。
「楽しませてあげよう」と、1日何回ぐらい考えますか。1回ですか。3日に1回ですか。1カ月に1回ですか。1年に1回 ですか。やらないですか。
毎日「楽しませてあげる」と考えている人は、そのライフスキルが脳の中で育まれ、その脳はエネルギーを生み出し、実は「楽しませてあげる」と考えているだけで、そのエネルギーがもしかしたら波動となってまわりの人につな がっていく可能性は大いにあります。
「楽しませてあげる」と考えずに生きて人と接している人と、「楽しませてあげる」と考えながら、その方法はとも かく生きている人では、まわりに対するフロー度合いが違う。なぜなら思考はエネルギーだからですね。というふう に思います。
コーチ力はまわりをフローにするということとともに、そのフローで生きる生き方を伝えていくということにもつ ながっていくので、ぜひ「楽しい」ということについて、ご自身をまず掘り下げるところから始まり、「一体何をほ めるのかということだったり、どういうふうな考え方をしていれば、まわりに『楽しい』ということを伝えていける のか。楽しませてあげるという生き方につながるのか」ということが、何か見えてくるんじゃないかと思っています。
ぜひ一人でも多くの人が「楽しませてあげる」というコーチ力、ライフスキルを意識しながら生きていただければ、
もっと世の中が変わるんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。